セルビア皇帝ステファン・ドゥシャンの戴冠式 (1346年)
― スラヴ語の法律 ―
テンペラと油彩 1926年 405cm×440cm
スラヴの春
華やぎを感じさせる 「スラヴ叙事詩」 の1点です。 1989年に日本ではじめて 「スラヴ叙事詩」 を展示して紹介するにあたってこの作品を選んだのも
"スラヴの春" のテーマにありました。
季節は春、イースター (復活節) の日に東ローマ帝国皇帝に戴冠したステファン・ドゥシャン (ウロシュ4世) が民衆の祝福を受けて行列に出かけるところを描いています。
1346年、ドゥシャンが皇帝となったことによって、カレル4世の神聖ローマ帝国とともに、東ローマ・西ローマ(神聖ローマ)両帝国にスラヴ人の皇帝が君臨し、いわばイングランド王国とフランス王国以外の全ヨーロッパがともに名君のスラヴ人皇帝のもとにありました。 スラヴの人たちにとってこの時代はスラヴの春、栄光の時代として今も記憶されています。
セルビアは現在でも民族・宗教紛争の危険をはらむ地域ですが、12世紀も諸部族が対立抗争をくりかえしていました。 その中でステファン・ネマニャが現れてセルビア人の国家をうちたてました。
ネマニャ王朝4代目のドゥシャンはセルビアを強大にしてブルガリアを破り、セルビアとギリシアの皇帝、東ローマ皇帝となったのです。
1349年には セルビアと東ローマ帝国の法律を整理した成文法 「ドゥシャン法典」 を発令するなどドゥシャンは政治家・法律家として歴史的に評価されています。
未来の希望
残念なことにドゥシャンは1355年に47才で毒殺され、息子のウロシュ5世の時代に弱体化して1371年にはオスマン・トルコにのみこまれて滅亡しました。
"スラヴの春" はごく短い期間で終わりましたが、そのためにスラヴの人たちにはかえって栄光の時代として強く記憶に残り、19世紀の汎スラヴ運動に影響しミュシャ終生のテーマの
"未来の希望" になりました。 ステファン・ドゥシャンの戴冠はミュシャが 「スラヴ叙事詩」 を制作する原動力のひとつでもあるのです。