「複製」は「オリジナル」?
では現代の「複製印刷」や「複製リトグラフ」はどうでしょう?写真製版やスキャナーで元の原稿を精確忠実に製版でき、印刷の網点(あみてん 印刷で濃淡を表現するための青、赤、黄、黒の非常に細かい点)がほとんど見えないほど高精細です。網点のない複製リトグラフやデジタルプリントはさらになめらかです。時代変化や古色を除いて元の状態に近づけて復元することも可能で、「オリジナル」よりも美しい「複製」も実際に存在します。しかし、写真のオリジナルプリントで触れましたが、「オリジナル」と「複製」の区別は品質ではなく、作家自身の関与、承認です。ミュシャ自身の関与も承認もない現代の「複製」を「作品」と呼ばないのは当たり前のことです。現代の複製リトグラフでクロミスト(製版職人)の手が入っていることを高品質・高額の理由にしているものがありますが、ミュシャのもとで職人が模写した作品に現代の職人がさらに模写・加筆を重ねるとオリジナルから遠ざかってしまい、むしろふつうの印刷が素直で優れた複製といえます。複製リトグラフは「複製」でなく、現代のクロミストが模倣し描き起こした別作品です。
限られた人しか所有できないオリジナルと違い、大量生産の「複製」には多くの人が身近に置いて楽しむ役割があり、安くて高品質の「複製」はミュージアムショップに必要なアイテムです。
そのためにも、それが「オリジナル」でなく「複製」であると誰が見てもすぐにわからなければなりません。善意の「複製」がいつのまにか悪意の「贋作」になるのを防ぐために絶対に守らなくてはならないルールで、そのために「オリジナル」とは異なるサイズに作るなど、偽物化できないようにします。油彩画の修復でも、同じ油絵具で修復するとそれは「加筆」になり、「オリジナル」ではなくなってしまうので、後で取り除くことができる水彩絵具など、異なる画材を用いて慎重に修復するのが、絶対に守らなければならない鉄則です。
1993年にはじまった ミュシャのある複製リトグラフは、「リクリエーション(再創造)」と銘打ち、まるでオリジナルであるかのようによそおって販売しました。粗悪な色彩、原価 数百円から千円程度の複製が、30万円もの高額(後には60万円、100万円に。アメリカでは20ドル以下、5~10ドル程度で販売していた複製と同じもの。)という問題だけでなく、「オリジナルと同一サイズ」をセールス・ポイントにしていたことが各方面から疑問視されました。印刷であれば簡単に判別できますが、リトグラフによる複製は、十分に注意しなければ購入したファンが贋作化に加担してしまうようなことにもなりかねません。
ミュシャの「装飾パネル」も「ポスター」も、「オリジナル」にはエンボスやエディションナンバーなどありません。それらは安価な「複製」を高額で売るための販売手法です。
安価であれ高額であれ、「複製」を買って楽しむのはファンの自由です。しかし同時に「オリジナル」への敬意を忘れず、ミュシャの魅力を次の世代へ、さらにその先の未来の人たちにまで届ける気持ちを大切にするのがミュシャを愛する心ではないでしょうか?
「複製」が「オリジナル」?
「装飾パネル」も「ポスター」も、ミュシャが直接描いたものではありません。リトグラフ職人がミュシャの原画 (版下絵)を見て版石に模写し、工程を重ねて紙に転写した「複製」ですが、ミュシャが認めた職人、あるいは工房が制作した作品は「ミュシャ・オリジナル」とされます。
「模写」ときくと、「ミュシャの絵と異なってしまうのではないか」と心配になりますが、職人が原画を改変することはなく、作品としてまったく問題ありません。ミュシャ自身
挿絵画家の経験があり、リトグラフであれ、木口木版画であれ、版画工房の職人と互いに信頼しあっていました。
挿絵もリトグラフも複製工程を経る版画ですが、原画、版下絵を描き、校正するなどミュシャが関与し承認した「版画」はミュシャ作品「オリジナル」です。
左は習作なので単純に比較できないが、職人の手を経たポスターはミュシャの原画を損なうことなく忠実に再現している。 原画はプラハ国立美術館 蔵
「複製」か「オリジナル」か
「版画」は名前のとおり、版を作り、その版から紙などに転写したものが作品になります。版の作り方、転写の方法によってさまざまな呼び方がありますが、転写を経て作品制作するという工程は、すべての版画に共通しています。作家が作品を直接仕上げる絵画にたいして版画は間接的です。制作工程に画家がかかわらないこともあり、各工程をそれぞれの専門家に発注してプロデュースすることもあります。工程のすべてを作家一人でこなすこともありますが、その場合でも転写工程があります。
「浮世絵」版画の場合、彫り師が作者の版下絵の色彩ごとに版木を彫り、刷り師が何枚もの版木から1枚の和紙に刷って仕上げます。
彫る工程のないリトグラフは、版の表面に作家が直接絵を描くことも可能ですが、原画(版下絵)を渡してすべての工程をリトグラフ工房にまかせるのがミュシャの時代には一般的でした。リトグラフ工房は現代の印刷会社にあたります。すでに写真製版の技術はありましたが、装飾パネルやポスターは職人が原画を見ながら石版用の石に模写していました。つまり、原画はミュシャの絵でも、装飾パネルやポスターは職人が模写し転写した版画です。
写真も、レンズを通して被写体をフィルムに写しとり、フィルムの画像を再びレンズを通した光で印画紙に焼き付けて定着させる「版画」といえます。写真の場合、作家自身がプリントしたもの、あるいは作家の監督下でプリントしたものを「オリジナル・プリント」として作品価値を認めていますが、それ以外はオリジナル・フィルムからであっても作家自身の承諾を得ないプリントは「オリジナル・プリント」になりません。
版画の「オリジナル」性とは品質ではなく、間接的であっても作家自身の承認関与が必要で、作家の死後など作家自身が関与しない版画はクオリティが高くても「複製」です。
『リトグラフ制作工程』(1874年)
左から2人目に、原画を忠実に模写する職人の姿が見える。
J. レナート氏 蔵
『白い象の伝説』から
原画(水彩)と挿絵(木口木版) 全体(左側)とサイン部分の拡大(右側)
原画ではミュシャのサインのみ。挿絵には木版師のサインがある。
ポスターにはリトグラフ工房名を入れる( Imp.= Imprimerie 印刷所 ) 。
原画は、土居君雄コレクション W.T.スヴァテックコレクション 蔵