『明星』が1900年にミュシャを初めて紹介すると日本でも人気を呼び、輸出用また国内向けの工芸意匠デザインにとり入れられた。
これは『四芸術』をアレンジして縮緬地(ちりめんぢ)に型染めした京友禅裂。左は『ダンス』、右は『絵画』。
「日本の眼と空間」展 セゾン美術館
キュレーター 新見隆
京都市染色試験場所蔵(1920年代前半)
『音楽』
『詩』
『絵画』
『ダンス』
左から パル (パレオログ 1893)、F.バック (1892)、J. シェレ (1893)、EC.ルカ (1894)
左から G. .ド・フール(1895)、J. シェレ (1897)、パル (1897)、G. メニエール (1898)
左から パル (1897)、 パル (1897)、 M. オラジ (1900) 、 J.A. グリュン (1900)
チェコスロヴァキアはミュシャ没後30年の1969年7月14日、亡くなった日にあわせて『四芸術』と『四つの宝石』の切手4種を発行しました。
ダンス
『絵画』は色彩、『音楽』は音、『ダンス』は動き、『詩』は黙想をそれぞれ女性のポーズと花によって四芸術の特性を表現しています。デザイン、色調は共通ですが"Q字形"の構成が画面に動きを与えてそれぞれの作品を個性的にしています。
四芸術あるいは三芸術を象徴的に表現することはルネサンス、あるいはもっと古くから行われていました。ミュシャの『四芸術』シリーズの特徴はダンス"が含まれていることにあります。芸術のどのジャンルを選ぶか特に決まりはありませんが詩、絵画、音楽のほかには彫刻が入っていることが多く、ダンスというのは珍しいでしょう。
ロイ・フラー
人類文化とともに古くからあったダンスは20世紀になってモダンダンスが起こりコンテンポラリーダンスへと移り変わってきました。
1890年頃から世紀末のパリでは、ロイ・フラー(1862-1928)のダンスが人気を呼んでいました。ベールのような衣装と電気の照明を使ったダンスはパリの人たちの心を捉え、ロートレック、シェレをはじめ数多くの画家たちにインスピレーションを与えています。それまでのダンスにはなかったロイ・フラーやイサドラ・ダンカンらの斬新で即興的な踊りからモダンダンスの流れが生まれ現代のコンテンポラリーダンスにつながっています。
ミュシャの 『ダンス』 はロイ・フラーをモデルにしたのではありませんがポーズや動きの表を見るとロイ・フラーのダンスから直接、あるいはほかの画家たちのポスターなどの作品を通してインスピレーションを得ていることがうかがえます。
『四芸術』のデッサン 左から「ダンス」、『絵画』、『詩』、『音楽』
ロートレックの『ロイ・フラー』 (1893年)
ポスターではありませんが衣装と照明が躍動するロイ・フラーの舞台を伝えるリトグラフです。
ロイ・フラーのダンスに魅了されたポスター作家たちが動きと光を表現する個性的な作品を数多く残しています。