宝石?
タイトルは"宝石"ですが宝石は描いていません。それぞれ色調、雰囲気は異なり手前に花を置いて椅子にかける女性の背景に装飾円を置く構成は4点に共通しています。
シャンプノワの販売セットのカバーには ”Les Pierres Précieuses”(宝石)とあり、”トパーズ La Topaze”、“ルビー Le Rubis”、“アメジスト L’Amethyste”、“エメラルド L’Emeraude”の石の名を書いています。(英語で表記する場合 The Precious Stones が正しく、The Jewels とするのは間違い。)
通常 Pierres Précieuses (宝石)というときダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルドの貴石を指します。決まりはないもののダイヤモンドとサファイアをはずしてトパーズ、アメジストを含む例はあまり見かけません。
"誕生石"になぞらえる解説がありますが"誕生石"は20世紀の1910年代に宝石商が販売促進の目的で提唱したものでミュシャの「四つの宝石」とは関係ありません。
デザイン
宝石は神に与えられた王権、神の力をあらわすものでした。19世紀になると貴族社会から市民中心に移りゆくなか石そのものの価値よりもデザインの芸術性で評価されるように変化していきます。
1890年代にルネ・ラリック(Rene Lalique 1860-1945)、ジョルジュ・フーケ(Georges Fouquet 1862-1957)らのアール・ヌーヴォー・スタイル・ジュエリーが登場するとその傾向がさらに顕著になります。
フーケが父親からジュエラーを継いだ1895年以降ミュシャはジュエリー・デザインをフーケに提供、1901年に開いたフーケの新しい店では外装、内装、家具、彫刻、飾り金具にいたるまですべてをデザインして評判になりました。フーケとの協力はミュシャがパリを離れる1905年まで続きました。
『蛇のブレスレット』(部分) 1899年
土居君雄コレクション
『胸飾り』(部分) 1900年
個人コレクション
パリ、ロワイヤル街6番地にあったG.フーケ宝飾店外観 1901年
息子の代の1930年代前半に、金融恐慌後の不況で店を閉じた。
チェコスロヴァキアは、ミュシャ没後30年の1969年7月14日、亡くなった日にあわせて『四つの宝石』と『四芸術』の切手4種を発行しました。
フーケとミュシャ協作ジュエリーの代表『蛇のブレスレットと指輪』には金で精緻に造形した蛇にさまざまな宝石を飾っていますがダイヤモンドはパヴェあるいはメレダイヤとよぶ小粒のダイヤモンドです。『蛇のブレスレットと指輪』が"世界の宝"とされるのは使われている宝石の価値によるのではありません。ミュシャによるデザイン、ジュエリー工芸家フーケ、さらに大女優サラ・ベルナールという19世紀末最高の芸術家3人がこの作品に結集している奇跡が"世界の宝"と称賛される理由のひとつです。
G.フーケ宝飾店内装の復元展示 (家具、調度類はオリジナル)
パリ、カルナヴァレ美術館
ボヘミア王「聖ヴァツラフの王冠」
14世紀
『四つの宝石』
販売セットのカバー
『蛇のブレスレットのデッサン』 1899年
個人コレクション