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ミュシャの死を伝える記事  (1939年7月15日付 チェコの新聞から)

ミュシャの命日

 画家アルフォンス・ムハ (ミュシャ) 死去

 昨日午後、アカデミックな画家アルフォンス・ムハがプラハ市ブベネチ区の自宅で病気のため短い闘病療養の後に死去した。 79才。
 画家アルフォンス・ムハは、1860年7月24日に南モラヴィアのイヴァンチッツェに生まれ、フランスの画家レヴェ、ブーランジェ、ローランスらのもとで学んだ。パリでは本の挿絵やポスター・デザインによって早くから有名だった。初期は『フィガロ・イリュストレ誌』、『イラストレーション誌』、『ラ・ヴィ・パリジェンヌ誌』などの雑誌に掲載された。1897年に自身の総合的な展覧会を開催した。1900年のパリ万国博覧会で大成功した。アール・ヌーヴォー期の装飾を基礎として成功し、理想化されたタイプの美しい少女を創造した。
 チェコではステンドグラスのデザインで有名になった。聖ヴィート大聖堂が完成したときそのステンドグラスをデザインした。チェコスロヴァキア共和国の切手のシリーズのデザイナーでもあった。生涯のもっとも大きな仕事は1910年から1928年にかけて制作した『スラヴ叙事詩』 連作である。この連作は、3世紀から20世紀までのスラヴ民族の歴史を描いたものである。『スラヴ叙事詩』 は20点の巨大な作品群で未完成だった。この作品をすべてプラハ市に寄贈した。
 故人の希望により葬儀はカトリックで行われ土葬される。葬儀の日時、場所は早急に知らされる予定。

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ミュシャの死を伝えるチェコの新聞
     1939年7月15日付