ミュシャの生涯

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 画家アルフォンス・ムハ (ミュシャ) 死去

 昨日午後、アカデミックな画家のアルフォンス・ムハがプラハ市ブベネチ区の自宅のアパートで病気のため短い療養の後、死去した。 79才。
 画家アルフォンス・ムハは、1860年7月24日に南モラヴィア地方のイヴァンチッツェに生まれ、フランスの画家レヴェ、ブーランジェ、ローランスに習った。 パリで本の挿絵やポスターデザインによって早くから有名だった。 初期はフィガロ・イリュストレ誌、イラストレーション誌、ラ・ヴィ・パリジェンヌ誌などの雑誌に掲載された。 1897年には自身の総合的な展覧会を開催した。 1900年にはパリ万国博覧会で大成功した。 アール・ヌーヴォー期の装飾を基礎に成功し、理想化されたタイプの美しい少女を創造した。
 チェコでは、ステンドグラスのデザインのため有名になった。聖ヴィタ大聖堂が完成したときそのステンドグラスもデザインした。 チェコスロヴァキア共和国の切手のシリーズのデザイナーでもあった。 生涯のもっとも大きな仕事は、1910年から1928年にかけて制作した 『スラヴ叙事詩』 という連作である。 この連作は、3世紀から20世紀までのスラヴ民族の歴史を描いたものである。 『スラヴ叙事詩』 は20点の巨大な作品群だが、未完成だった。 この作品をすべてプラハ市に寄贈した。
 故人の希望により、葬儀はカトリックで行われ土葬される。 葬儀の日時、場所は早急に告知される。

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ミュシャの死を伝えるチェコの新聞
     1939年年7月15日
ミュシャの死を伝える記事