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プラハ城切手の復刻

プラハ城切手

40周年(1958)
スラヴィアが「プラハ城切手」を見上げる
(デザインはM. シュヴァビンスキー)

30周年(1948)に復刻した「プラハ城
切手」(上は復刻部分の拡大)

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1958年「郵便切手の日」記念切手の一部分を拡大

 スロヴァキア共和国でも2018年に「プラハ城切手」の復刻を発行した。
 チェコとスロヴァキアは1993年に"ビロード離婚"して別々の国になったが、それまでは1918年にチェコスロヴァキア共和国(第1次)として独立建国したひとつの国だった。
 スロヴァキアにとっても2018年は共に独立100年であり、切手発行100年にあたる。スロヴァキア最初の切手もミュシャがデザインした「プラハ城切手」だった。
(現行切手のため、画像の一部を加工改変しています)

わずか1年半
 「プラハ城切手」はミュシャがデザインした新生チェコスロヴァキア初の郵便切手です。額面金額やデザインの細部が異なる20数種を発行しましたが偽切手が出回るようになったため1918年から1920年にかけてわずか1年半ほどの短い期間の発行でした。
わずか20年
 1620年にプラハ近郊にあるビーラー・ホラー
(白い山)の戦いに敗れたチェコは300年にわたってハプスブルク家の支配下におかれていましたが、第1次大戦終了時、1918年10月28日に独立します。祖国の独立に立ち会う幸せに恵まれたミュシャは、新生チェコスロヴァキア共和国の国章や通貨紙幣、郵便切手をほとんど無償でデザインしました。
 しかし1938年9月にナチス・ドイツが侵攻して、チェコスロヴァキア共和国は独立後わずか20年の1939年3月15日にヒットラーによって解体占領され、ドイツの保護領になります。まだミュシャが存命中のことでした。
 第2次大戦が終わってドイツの占領からは解放されたものの、1948年にはソ連が支配する社会主義体制に組み入れられ、共産党一党支配が1989年11月のビロード革命まで続きます。人々は幸せだった20年間をミュシャの「プラハ城切手」に象徴させて未来に希望をつなぎ苦難の時代を耐えました。
わずか8ヶ月
 1948年「チェコスロヴァキア郵便切手の日
(プラハ城切手を発行した12月18日)」に ミュシャの「プラハ城切手」の復刻が発行されました。1948年は独立30周年であるとともに2月に共産党クーデターで社会主義化した年です。
 独立40周年の1958年記念切手のデザインにはミュシャの「プラハ城切手」を見上げて月桂樹とスラヴ菩提樹を捧げるスラヴィアを描いています。この切手をデザインした版画家
マクシミリアン(マックス)・シュヴァビンスキー(Maximilian Švabinský 1873-1962)は栄光を象徴するバラとチェコの復活をあらわすトケイソウ(欧米では受難と復活の象徴)で「プラハ城切手」を飾りました。(シュヴァビンスキーは1939年のミュシャの葬儀で弔辞を読みました)
 1968年は独立50周年にあたりますが1月からはじまった"人間の顔をした社会主義"をめざす「プラハの春」の改革が8月にソヴィエト主導のワルシャワ機構軍が侵攻してわずか8ヶ月で制圧された年です。チェコスロヴァキアは11月にミュシャの切手
(ヒヤシンス姫)を、さらに郵便切手の日には独立50周年をアピールするかのように「プラハ城切手」を2枚並べて復刻した記念切手を発行しています。
50年を経て
 1978年と1988年の記念切手は「ミュシャ肖像切手」のところでも紹介しているようにどちらも「プラハ城切手」の復刻でもあるデザインです。
10年ごとに
 「プラハ城切手」の復刻は10年ごとにくりかえされミュシャ没後50年の1989年11月にチェコスロヴァキアがようやく自由を回復できるまで続きました。
 「プラハ城切手」復刻を通してチェコの人々がどのように歴史と向きあってきたかを知ることができ、同時にミュシャという芸術家をチェコスロヴァキア国民がどのように見ているかも見えてくるのです。

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 頭にスラヴ菩提樹を飾るスラヴィア(チェコを象徴する女性)が「プラハ城切手」に月桂樹とスラヴ菩提樹を捧げており、その「プラハ城切手」にはトケイソウとバラが飾られている。
 トケイソウは受難・復活、月桂樹は不滅、バラは栄光を表しチェコの国の木スラヴ菩提樹はチェコスロヴァキアを象徴する。
 1958年はチェコスロヴァキアが1948年にソ連主導の共産党支配体制に組み込まれて始まった苦難の40年の10年目。

40周年切手のFDC(初日カバー)   左側のカットの花はスラヴ菩提樹、月桂樹、トケイソウ。

30周年(1948)記念ハガキ
 1948年2月にチェコスロヴァキアはクーデターによって
共産党一党独裁体制になりソ連の支配下にはいった。

50周年(1968)
「プラハの春」改革が進行中の6月に発行した切手(左)と
改革が挫折した後の12月に発行した切手(上)
初日カバーは「プラハ城切手」デッサンとミュシャのサインをデザインしている

60周年(左 1978)と70周年(右1988)
どちらもミュシャ肖像切手であるとともに「プラハ城切手」の復刻でもある