文学美術雑誌
ミュシャは文学や演劇に終生かかわっていました。
当時、パリでは多くの文学美術雑誌が創刊され、ミュシャは「ラ・プリュム」「ココリコ」などの表紙や挿絵を手がけました。 なかでもラ・プリュム誌とは深い関わりを持っています。
ラ・プリュム芸術出版社
ラ・プリュムは羽根という意味のフランス語で羽根ペンをあらわし、文学や評論などの文学芸術を象徴しています。
ラ・プリュム芸術出版社は1897年に自社の展示ホール「サロン・デ・サン」でミュシャ作品展を開催し、それにあわせてラ・プリュム誌のミュシャ特集号を発行するなど、ミュシャ紹介に力を入れています。
ラ・プリュム誌と明星
日本でも文学美術雑誌のさきがけとなった「明星」が1900年に創刊されました。 「明星」はミュシャのポスターを挿絵にとり入れていますが、 「明星」の挿絵になったミュシャ作品はすべてラ・プリュムのミュシャ特集号に載っていること、ミュシャのポスターが登場する第5号から版型がラ・プリュムと同じスタイルに変るなど、ラ・プリュム誌が日本に伝えられ、与謝野鉄幹や「明星」のデザイナーが手にしていたことがうかがわれます。
「ラ・プリュム」誌