挿絵と表紙

ラ・プリュム誌
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『ラ・プリュム』誌の表紙 1897年

『ラ・プリュム』誌
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文学美術雑誌
 ミュシャは文学や演劇に終生かかわっていました。
 当時、パリでは多くの文学美術雑誌が創刊され、ミュシャは『ラ・プリュム』、『ココリコ』などの表紙や挿絵を手がけました。 なかでも『ラ・プリュム』誌とは深い関わりを持っています。
ラ・プリュム芸術出版社
 『ラ・プリュム』の 「plume」は「羽根」という意味のフランス語で、「羽根ペン」をあらわし、文学や評論などの文学芸術を象徴しています。
 「ラ・プリュム芸術出版社」は1897年6月に自社の展示ホール「サロン・デ・サン」でミュシャ作品展を開催し、それにあわせて『ラ・プリュム』誌のミュシャ特集号を発行するなど、ミュシャ紹介に力を入れています。

 ミュシャはサラ・ベルナールによって有名になったといわれていますが、ミュシャの才能に注目し世に広めたのはサラではなく「ラ・プリュム芸術出版社」社主のレオン・デシャン(1864-1899)でした。」
『ラ・プリュム』誌と 美術文芸誌『明星』
 日本でも文学美術雑誌のさきがけとなった『明星』が1900年に創刊されました。『明星』はミュシャのポスターを挿絵にとり入れていますが、『明星』に掲載しているミュシャ作品はすべて『ラ・プリュム』誌ミュシャ特集号に載っていること、『明星』のスタイル(判型)がそれまではタブロイド判だったのがミュシャのポスターが登場する第6号から『ラ・プリュム』誌と同じスタイルに変るなど、『ラ・プリュム』誌が日本にもたらされていて与謝野鉄幹や『明星』のデザイナーが直接に影響を受けていたことがうかがわれます。