プラハ市民会館

母の英知 −プジェミスル朝のエリシュカ   プラハ市民会館 市長ホール   1913年

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イヴァンチッツェの教会にあるエリシュカの像。
ミュシャはこの絵を幼いころから見て育った。

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 エリシュカ(1292-1330)はカレル4世の母。エリシュカに護られているのは幼い頃のカレル4世 (幼名ヴァツラフ 1316-1378)です。カレルはフランスの宮廷で成長し、薫陶を受けた叔父シャルルの名(ドイツ名カール、チェコ名カレル)を与えられました。
 チェコ最初の王朝プジェミスル朝の王女に生まれたエリシュカ
は、ルクセンブルク伯爵家のヨハン (ヤン) と結婚し、四男三女を設けました。
 プジェミスル朝はエリシュカの兄の代で途絶えましたが、エリシュカの夫、ルクセンブルク家のヨハン
がボヘミア国王ヤンとなり、ヤンの死後、息子がボヘミア王国を次ぎました。カレルは神聖ローマ帝国皇帝に選ばれました。
 エリシュカの息子、幼名ヴァツラフのカレルは、ボヘミア王カレル1世、神聖ローマ帝国皇帝カール4世と呼ぶのが正しいですが、チェコでは一般にカレル4世と呼ばれます。

 カレルの治世
(1346-1378) にプラハは大発展してヨーロッパの中心となり、チェコの黄金期を迎えました。カレルが定めた 「聖ヴァツラフの王冠諸邦」 の理念は現在のチェコの国章にも記されています。
 今も
「プラハの父」 と尊称されるカレルの理念は、母エリシュカの英知によって育まれたものでした。