インカのワイン

来たる年 カレンダー     1897年 リトグラフ

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象徴派
 カレンダーが一般家庭に普及したのはアール・ヌーヴォーの時代でした。それまで人々はキリスト教会が定めた教会暦にしたがって生活していましたが、都市生活の拡大とともにさまざまなカレンダーが作られるようになりました。
 とくに雑誌の出版が盛んになった1880年代後半以降、急速にカレンダーが広まったのです。象徴主義の雑誌が多かったため、テーマや絵柄が象徴的なカレンダーが多い、それがアール・ヌーヴォー期カレンダーの特徴です。
未完成?
 ミュシャは1894年の『ロリューのカレンダー』以来、シャンプノアやショコラマッソンのカレンダーなどノベルティ用のカレンダーを数多く制作しており、いずれにもミュシャ特有の象徴的表現が見られます。
 『来たる年』のカレンダーにはバラ、ヒナゲシなどを盛ったかごを持つ女性が描かれています。周囲の装飾もヒナゲシ、マーガレット、ヤグルマギク、ムギを描いていて、これら
の花はいずれもフランスを象徴していると考えられます。
 抑えた色調ながらミュシャらしい表現の美しいカレンダーですが、『来たる年』は「タマ」と呼ぶ日付の部分が入って完成したカレンダーは今のところ見つかっていません。出版数が少くて残らなかったとも考えられますが、1900年のシャンブノワのカタログには「カレンダー用」として「タマ」を刷ってないものを6フランで案内しています。原画が残っており、画面の下にカレンダー枠があるのでカレンダーとしてデザインされたのは間違いありません。
ミイラも?
 カレンダーになったものは見つかっていませんが『来る年』はポストカードも残っています。当時よく知られていたマリアーニ・ワインの宣伝用です。
 女性が手に持つ花がワインを載せたプレートに変えられてマリアーニ・ワインの宣伝文が添えられ、なんとそれには「マリアーニ・ワインを飲めば
死んでいるミイラも踊りだす」 とあります。サインが添えられていますがもちろん描きなおしたのはミュシャではありません。
 ミイラに描き変えた背景には、19世紀後半のエジプトなど古代遺跡の発掘ブーム、それとパリで開かれた万国博覧会の影響があります。
  ポスターの父ジュール・シェレ
(Jules Cheret 1832-1936)もマリアーニ・ワインの楽しげなポスターを作っており、宣伝に力を入れているワイン・メーカーですが、それにしても、、、。

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『来たる年』 のデザインを流用したポストカード (左) と
『マリアーニ・ワインのポスター』 (ジュール・シェレ 1894年)

『来たる年のカレンダー』を飾る花
ヒナゲシ、バラ、ヤグルマギク、ムギ、マーガレットなど