ヤン・フス

現在のベツレヘム礼拝堂

現在のベツレヘム礼拝堂

再建ベツレヘム礼拝堂の切手

ヤロスラフ・フラグナー

ヤロスラフ・フラグナー
Jaroslav Fragner 建築家、教育者
1898-1967

もどる



戻る

ベツレヘム礼拝堂 (再建)


 ベツレヘム礼拝堂はヤン・ミリチ (?-1374) の支持者たちによってイェルサレム館近くに創建され、「神の言葉が制限されないため」にチェコ語で説教をする特異な礼拝堂でした。
 当時の教会
(カトリック教会)は、「聖なる言葉(ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語、および正教会の教会スラヴ語)」以外で聖書を説くことを禁じていたので、民衆は仏教のお経と同じく、説教を聞いても理解できません。民衆にもわかるチェコ語で説教することは画期的であるだけでなく、聖書に書いていない「教皇の権威」に依って蓄財、蓄妾していた教会や聖職者には都合の悪いことでした。現在もカトリック教会では、信徒が神父の指導なく聖書を読むことは奨励していません。
 神の言葉を伝えるために、フスは聖書をチェコ語に翻訳し、ルターは新約聖書をドイツ語訳しています。
フスに影響を与えたイギリスのウィクリフも聖書の英訳を手がけましたが、完成する前に亡くなりました。
 1402年から1412年までフスが説教師、主任司祭をしていた創建時の礼拝堂は18世紀末に破壊され、現在の礼拝堂はチェコ現代建築家ヤロスラフ・フラグナー
(Jaroslav Fragner 1898-1967) によって1953年に再建されたものです。
 ミュシャが『スラブ叙事詩』を制作していた20世紀前半には土台の石組みしか残っていませんでした。 したがってベツレヘム礼拝堂内部はミュシャの想像です。とはいえ、『歴史アルバム』など中世にかかわる挿絵を多数手がけたミュシャの中世の社会、文化、建築についての造詣は深く、歴史資料や歴史家にも確認して忠実に描いています。
 『スラヴ叙事詩』には、パリの挿絵画家時代の経験が
随所に活きています。

切手 ベツレヘム礼拝堂