プラハ・ベツレヘム礼拝堂でのヤン フスの説教 (1412年)
ブロジークはミュシャが尊敬していたチェコの歴史画家。ミュシャがパリで絵の勉強をしていたころブロジークもパリに住んでいて、ミュシャは彼に会いに訪ねて行ったこともある。
ブロジークはじめたいていの画家がフスを描くとき、コンスタンツでの異端審問や火刑台の場面を描いたのに対して、ミュシャは最初から「言葉の力」をテーマにベツレヘム教会で説教する場面の構図を練っていたことがデッサンや下絵からもわかる。。
『1415年コンスタンツのヤン・フス師』 ブロジーク (Václav Brožík 1851-1901)
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「1415年コンスタンツのヤン・フス」 V.ブロジーク
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現在も、チェコ共和国の大統領旗には「Pravda Vítězí 真実は勝つ」というフスの言葉が国章に添えられている。
「Pravda Vítězí」は、ラテン語の Veritas Vincit (真実は勝つ)のチェコ語表記。
大統領旗にラテン語ではなくチェコ語で記していることにも注目。
― 世界の魔力、真実の勝利 ― テンペラと油彩 1916年 610×810 cm
心の師
ヤン・フス(Jan Hus 1369-1415)は マルティン・ルター(Martin Luther 1483-1546)に約100年先駆けて教会の改革を呼びかけました。のちにルターは「ヤン・フスは我が心の師」と語っています。
フスは改革の必要を訴えましたが教会を否定したわけではありません。しかしカトリック教会はフスを異端として1415年に火あぶりの刑で殺してしまいます。フスの処刑に抗議するチェコの人々の運動が宗教改革に発展するのを恐れてカトリック教会はチェコのフス派信仰を徹底的に殲滅しました。
フスの改革は挫折してチェコは長い混乱の時代をむかえます。しかしフスの活動と処刑、そしてフスを支持するチェコの民衆の反乱やその後の活動が宗教や思想、戦争の近代化を招き、民主主義や国際連合、EUの近代思想のもとにつながるなどヨーロッパの中世から近世への扉を開けるきっかけになりました。
カトリック教会は2000年に「フスを処刑したのは間違いだった」とチェコ国民に謝罪しました。(ローマ教皇の謝罪はあったが、フスの異端は今も解かれていない。)
真実は勝つ
多くの著作を残したフスは"言葉"を非常に大切にするスラヴ民族のチェコ文学史上でも表記法をはじめチェコ語の重要な改革を行いました。「真実は勝つ
Pravda Vítězí」というフスの言葉はその後600年近く苦難の歴史を歩んだチェコの人たちにとって誇りと道しるべとなり、チェコ共和国大統領旗には今もその言葉をかかげています。
言葉の力
『スラヴ叙事詩』全体は、モラヴィア国からアトス山にいたる「言葉」の歴史など、いくつかのテーマでくくることができます。『ベツレヘム教会でのヤン フスの説教』は、1919年にプラハ・クレメンティナムで初めて公開した時から『クロムニェジージュのヤン ミリチ』、『クジージュキの集会』とともに三連作として位置づけられていてミリチ、フス、コランダの言葉がそれぞれつながってチェコの人々に大きな流れを引き起こし歴史に変化をもたらした「言葉の力」に注目させています。剣で闘う貴族に対して「聖職者は言葉の力で闘う」という中世の概念を19世紀人のミュシャが20世紀に絵画で表現した『言葉の力』三連作です。