テンペラと油彩  1914年  610×810 cm

スラヴ叙事詩

ロシアの農奴制廃止 (1861  労働者の自由は国家の基盤

「ロシア農奴制の廃止」
1913年のモスクワ取材でミュシャが撮影した写真(左)と
デッサン(右)

"希望"の改革
 クリミア戦争
(1854-57)の敗戦で後進性を露呈したロシアは、内政の抜本的な改革を迫られます。皇帝アレクサンドル2世(1818-1881)ロシアの産業発展を目指して、1861年に農奴制の廃止を決めました。ミュシャが生まれて間もないころです。チェコではすでに1781年に農奴制は廃止されていました。ただその頃のチェコはオーストリアの支配下にあったので、ロシアの改革はミュシャたちスラヴの人々には希望の改革と映ったのです。
 画面は1861年2月19日、農奴解放の詔勅が読み上げられた直後のクレムリンとヴァシリー教会前の様子を描いています。
 アレクサンドル2世は、農奴解放令のほかにも、教育改革、司法改革、地方行政改革、軍制改革を行います。しかし、専制政治をそのまま残したため、農奴は解放されたものの、領主から土地を買いとることができないまま工業化、近代化によって、矛盾と格差は広がる結果になりました。むしろ革命運動が活発化して、1881年にアレクサンドル2世は暗殺されます。

色を変えたのは
 1913年、ミュシャはこの改革を「スラヴ叙事詩」 に描くための調査取材でモスクワを訪れました。しかし、ロシア庶民の生活困窮は50年前と変わらず、ミュシャが見たロシアの現実は悲惨なものでした。
 「ロシアの農奴制廃止」は、「スラヴ叙事詩」制作の援助者チャールズ・ クレインが希望したテーマでした。当初は、スラヴ人最大の国家ロシアの栄光を祝典として描くつもりでしたが、この旅行から帰って画面の色調を変更しました。 
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モスクワ取材旅行の写真

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