
死と希望と
『クジージュキの集会』は、『スラヴ叙事詩』の中核になる「言葉の魔力 三部作 (『クロムニェジージュのヤン・ミリチ』、『ベツレヘム教会で説教するヤン・フス』、『クジージュキの集会』)」というだけでなく、『スラヴ叙事詩』全体の要となる重要な作品です。
1415年にヤン・フス(1369頃-1415)がカトリック公会議で処刑されてボヘミア(チェコ)では混乱が続いていましたが、1419年9月30日にクジージュキで開かれた集会以降、堕落し形骸化した教会へ信仰生活を求める教会改革運動が、武器を持って立ち上がる全面的な戦争へと転換することになります。
フス派戦争は、チェコが主権を失い20世紀にいたるまで外国の支配を受け続けるという悲惨をもたらしました。その混乱の歴史の中で、チェコの人たちは現代のヨーロッパと世界につながる数々の思想や技術を生み出しました。
白と赤と
ミュシャはこの『クジージュキの集会』の画面で二つのことを表現しています。白旗と枯れ木は避けられない戦争と死を暗示し、暗いい空はヴァツラフ4世が亡くなり国王不在で混乱するボヘミアの情勢を示しています。一方で赤い旗と緑の葉が繁る松は、フス戦争の混乱からも復活するチェコの命と希望をあらわしています。
ヤン・フスは贖宥状(免罪符)や司祭の土地私有を批判して改革を求めましたが、教会に反抗していたわけではありません。農民や市民たちも尊敬するフスを殺した教皇と皇帝に抗議していたものの、さまざまなグループがバラバラに行動していたにすぎませんでした。
しかしフス派を恐れる教皇マルティヌス5世が異端撲滅の十字軍8万人を、続いて20万人の軍隊をボヘミアに侵攻させて、フス派の市民や農民を水刑、火刑で大勢虐殺し、さらに、フスの安全を約束しておきながら護らなかった皇帝ジギスムントがボヘミア王として戴冠するためにプラハの王宮を占拠するようになると、ジギスムントの女癖の悪さもあって、民衆の怒りは爆発します。
「この次からは武器を持って集まるように」とコランダ神父(Václav Koranda 1390-1453)が呼びかけた1419年9月30日のクジージュキの集会以降、ターボルに拠点を置く強硬派は戦闘の体制を強めることになります。戦闘のしかたなど知らない農民の集まりのターボル派はヤン・ジシュカ(Jan Žižka 1374-1424)を軍事指導者としてむかえることにしました。
グルンヴァルトの戦闘(1410年)の活躍で注目されたジシュカは、プラハの王宮警護官としてプラハ滞在中にベツレヘム礼拝堂でフスの説教にふれてフスを尊敬するようになります。その後なかば引退してプルゼニュ(ピルゼン)市の警護などをしていたジシュカは農民に戦闘訓練をしただけでなく農具を兵器化したり、新しい兵器の開発や改良、荷車を用いた戦闘陣形の工夫をして、プラハに迫ろうとする十字軍の大軍を撃退(ヴィトコフの戦い)するなど連戦連勝したため、教会の十字軍も皇帝軍もジシュカを恐れました。「ジシュカが来る」といううわさが流れたりジシュカ軍が歌う讃美歌が聞こえただけで敗走してしまう状態でした。
ジシュカの死後も説教師プロコプに率いられてターボル軍は勝ち続けますが、やがてターボル強硬派は、カトリック教会との宥和を図ろうとする穏健フス派に呑み込まれ、さらに穏健派もカトリック教会と皇帝軍に壊滅させられてしまい、ボヘミア(チェコ)は暗黒の時代へ進むことになります。
『クジージュキの集会』は、『クロムニェジージュのヤン・ミリチ』、『ベツレヘム教会で説教をするヤン・フス』、『ヴィトコフの戦い』、『ポジェブラッドのイジー』、『ペトル・ヘルチツキー』、『クラリッツェ聖書』、『ヤン・アモス・コメンスキー』という、『スラヴ叙事詩』の中核をなす流れの要になっています。