ペトル ヘルチツキー   ― 悪をもって悪に報いるな ― 
テンペラと油彩  1918年    405×620 cm

スラヴ叙事詩

非暴力主義
 トルストイは
ペトル ヘルチツキー(1390-1460)を「中世最大の偉人」と呼んでいます。ミュシャの考えと活動の根幹にはヘルチツキーの思想があるといっていいでしょう。
 カトリック対フス派プロテスタント教会、さらにフス教徒の間でもパンとブドウ酒の聖餐を主張する親カトリック穏健派 (ウトラキスト派)と武力革命でキリスト教理想社会実現を目指す「神の戦士」急進派(ターボル派)の対立抗争の時代に、ヘルチツキーは謙譲と忍耐と労働を著作や説教で提言し暴力によらない宗教革命の方法として初期キリスト教会に似た自給自足の生活を実践しました。
 ヘルチツキーの非暴力・自由・平等の思想と実践から農耕や手工業の質素な信仰生活を目指す 「チェコ兄弟団
(友愛統合教団) 」 が1457年にボヘミア北東のクンヴァルトで誕生しました。
悪をもって悪に報いるべきではない
 ヘルチツキーの高い理想は民主主義の核ともいえ、近代教育学の祖
ヤン アーモス コメンスキー(1592-1670)、哲学者でチェコスロヴァキア初代大統領のトマシュ マサリク (1850-1937)、1989年にビロード革命で自由化を実現させたヴァツラフ ハヴェル大統領 (1936-2011) を通じて世界の民主主義発展に寄与しています。インド独立の父マハトマ ガンディー 1869-1948)の非暴力・不服従の思想もトルストイを通してヘルチツキーの影響を受けています。
 宗教教団の「チェコ兄弟団」 は1627年の非カトリック教徒追放令のためボヘミア、モラヴィアから離散します。しかし、ヘルチツキーの思想は地域やグループによって性格は変化しながらもかえって世界中に広がることになります。ブレザレン
( bretheren 兄弟の複数形、兄弟、友愛、同胞と訳されるチェコ語の bratrskáが源になっている)など “兄弟” “友愛” を名にもつ教団だけでなくヘルチツキー、チェコ兄弟団の思想はプロテスタント・キリスト教会全体に及んでいるといえます。

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 向うににはボヘミア南部にあるヴォドニャニィ市が煙を上げています。フス派の町ヴォドニャニィは抗争に巻き込まれて反フス派軍の攻撃を受けたのです。
 町から逃れてきた負傷者や遺体が池のほとりに横たえられています。こぶしを振り上げ復讐を誓う若者の手を押さえてペトル ヘルチツキーが「悪をもって悪に報いるべきではない。それではさらに悪は増大して終わることがない」とさとしています。
 この池はヴォドニャニィ市とヘルチツ村を結ぶ道沿いに今もあります。ヘルチツキーの生まれ育ったヘルチツ村側の池のほとりからヴォドニャニィを遠望して描いています。
 この絵の表現にも「ドイツ史 ―歴史の場面とエピソード―」挿絵の経験が生きています。

ペトル・ヘルチツキー

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バルバロッサ(フリードリヒ1世)の死