魂の解放
 ヤン・ミリチの活動はさまざまなかたちでフスの改革につながりました。
 モラヴィア、クロムニェジージュ出身のヤン・ミリチ
(?-1374)はカレル4世のプラハ宮廷で副大臣を務めていました。しかし教会の腐敗への反発から私財を投げうって献身し教会からうち捨てられていた庶民に聖書のメッセージを伝えるためミリチ自身もチェコ、モラヴィアの言葉で説教しました。
 1372年には娼婦たちのために「新エルサレム」と呼ぶ避難所をプラハに建設して彼女たちに悔い改めをすすめ、救済に向けて新しい生活の機会と場を作りました。
 当時のカトリック教会は自分たちの権威を押しつけるだけで民衆の救済とは程遠い状態でした。アヴィニョン捕囚
(1309-1377)から教会大分裂(大シスマ 1379-1417)にかけての、教皇が3人も並立していた混乱の時代で、カトリック教会のさまざまな腐敗がヤン・フス(1369-1415 )やマルティン・ルター(1483-1546)に宗教改革運動を引き起こさせる原因となった時代でした。
 ヤン・ミリチの教会改革運動はのちのヤン・フスの宗教改革に大きな影響を与えました。
 また、フスが説教をしたベツレヘム礼拝堂はミリチに賛同し信奉する人たちによって「新エルサレム」の近くに建てられチェコ語で説教をしました。ヤン・ミリチの「言葉の力」はその後のチェコの歴史のみならず世界全体を教会中心の中世から民衆が力を持つ近世へ大きく舵を切るきっかけになりました。。
 画面左側、背景に見える街並みは今も当時の面影を残しています。
 

クロムニェジージュのヤン・ミリチ (1372  ― 修道院に変えられた娼館 ―  

『クロムニェジージュのヤン・ミリチ』のスケッチ

細部を確認するためのモデル写真
ミュシャ撮影

『クロムニェジージュのヤン・ミリチ』のデッサン

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テンペラと油彩  1916年  620 × 405 cm

スラヴ叙事詩

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