ポジェブラッドのイジー王 (1462

「ハンガリー王マチャーシュ1世と対峙するイジー王」
ミコラーシュ・アレシュ Mikoláš Aleš (1852-1913)

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フス派のシンボル "聖杯"

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 「フス派信徒の信仰を護るために、自分の命と王位をかけて戦う」と、怒りをもってローマ教皇の特使に宣言して立ち上がるイジー王の姿が、勢いで倒れた椅子とともに右側に描かれています。
 1462年4月、ローマ法皇ピウス2世は、カトリックとウトラキストの宥和を成し遂げたイジー王を裏切り、フス派信仰を認める"プラハ条約"の破棄をせまってきたのです。
 法王の通告を受け入れれはボヘミアが再び内戦に陥いるため、イジー王はボヘミアの統治権を盾に拒否しましたが、ローマ・カトリックは彼を破門します。
 ボヘミアの平和に楔を打ち込むかのように、ローマ教皇の特使ファンタン・ド・ヴェールがイジー王と対峙して描かれる、緊張感のある画面構成です。
 イジー王の手前、右隅のもっとも暗いところに、本を閉じる少年がいます。 バンと勢いよく閉じた本の表紙には“ ROMA”の文字が見え、ローマとの関係の終了を暗示しています。

プラハ市民会館壁画から

本を閉じる少年

イジー王の切手

― カトリックとウトラキスト(穏健派フス教徒)の王 ―

スラヴ叙事詩

テンペラと油彩   1925年  405×480 cm

国際平和機構
 現代の国連
(国際連合)には、ポジェブラッドのイジー王(1420-1471)の理念が受け継がれています。
 フス派の内部対立を終結させてボヘミア王に推戴されたイジー王
ボヘミア中部ポジェブラッドの領主)は、フス派とカトリックの融和、永久平和の保証、国際間の相互協力・援助のために、ヨーロッパ・キリスト教王国連合を設立する計画を提案し、実現のための外交交渉を積極的に展開しました。
 ピウス2世はじめ、ローマ・カトリック教会の妨害にあいながらも、政治力、外交力と硬貨流通による経済活性化、先進的な兵器開発などによって優勢に傾き、連合条約の発効は近いと思われていました。しかし、ピウス2世以上にイジー王を嫌っていたパウルス2世が教皇
(ローマ法王)になると、貴族たちの寝返りが広がって、イジー王の計画は頓挫してしまいました。
 イジー王の理念に通じる、ヨーロッパ連合や国連など国際機構の実現は、20世紀までまたなければなりませんが、イジー王時代の15世紀、ボヘミア(チェコ)は、 ヨーロッパで唯一の信教の自由が認められていた国でした。
 晩年のイジー王は、フス派を敵視する教皇から和平工作を拒否され、教皇の支持を背景に神聖ローマ皇帝の位を狙うハンガリー王マチャーシュ1世
(1458-1490)にモラヴィアを奪われて、1469年にはボヘミアの王位も剥奪されてしまいました。
 1471年にイジー王が亡くなった後、ボヘミア
(チェコ)は、1918年にマサリク(1850-1937)がチェコスロヴァキア共和国初代大統領となるまで、400年以上にわたって外国に支配され続けることになります。
 1945年、第2次世界大戦が終わり、ナチスドイツから解放されたチェコスロヴァキア共和国は、イジー王の肖像を新しい1000コルナ紙幣にデザインして復活を祝いました。

ウトラキスト派と"聖杯"
 フス教徒はひとつにまとまっていたのではなく、さまざまなグループに分かれていました。大きくわけると、急進的な"ターボル派"と穏健な"ウトラキスト派"の二つがありました。
 二種類の聖餐を意味するウトラキスト派(両方という意味のラテン語"ウトラクエ"が語源)は、パンとブドウ酒の聖餐や聖職者の道徳など教会の改良を求めて交渉しようとした都市貴族と商人、大学人が中心でした。キリストによる救いの証であるパンとブドウ酒の聖餐は、今では世界中の教会で当たり前ですが、フスの教会改革以前のカトリック教会では、「救われるのは聖職者のみ」として信徒には許されていませんでした。
 一方のターボル派は、教会そのものを否定し財産の共有制を主張して、神の国建設を武力で勝ち取ろうとした農民職人や浪人騎士たちによる戦闘的なグループです。彼らは南ボヘミアのターボルに砦を築いて拠点としたため、ターボル派とよばれました。

イジー王の玉座と天蓋

フス派のシンボル "聖杯"

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