ヴィトコフの戦いの後 (1420年)  ― 神への感謝の祈り ― 

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ベツレヘム礼拝堂でのフスの説教

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テンペラと油彩   1916年  406×480 cm

スラヴ叙事詩

世界にさきがけて
 プラハ市の東方にあった「ヴィトコフ」は、現在は「ジシュコフ
(ジシュカの丘)」と呼びプラハ市内東部地区になっています。
 ヴィトコフはプラハに通じる道路を防衛する要所でした。1420年7月14日、フス派の宗教改革を殲滅するためプラハに攻めてきた教皇と皇帝の異端撲滅十字軍10万の大軍をヤン・ジシュカ
(1374-1424)率いる農民中心のフス教徒防衛軍8千人がヴィトコフの丘で撃破しました。これを記念して1877年に ジシュカの名にちなんで「ヴィトコフ」から「ジシュコフ」に地名が変更されました。ジシュコフの丘にはヤン・ジシャカの巨大な像が建っています。
 マルティン・ルター
(1483-1546)に100年先がけて教会改革を求めたフス派の運動は分裂の後、1434年のリパニの戦い、1620年ビーラー・ホラーの戦いを経て壊滅します。 しかしチェコ(ボヘミア)で起こったフス派運動の混乱のなかから現代社会では常識になっているさまざまな思想や社会体制が萌芽して世界に広まりました。民主主義の原型ともいえる ペトル・ヘルチツキー(1390-1460)の思想、信教の自由や国連の理念を先取りしたポジェブラディのイジー王(1420-1471)ヤン・アーモス・コメンスキー(1592-1670)が始めた学校教育の仕組みなどです。フス派の信仰中心の生活からプロテスタント教会の原型といえるモラヴィア兄弟団が生まれ、さらに世界ののプロテスタント教会の活動が封建体制の崩壊から近代・現代へ社会変革を方向付ける指針にも推進力にもなったのです。
戦争の革新
 フス教徒の軍事指導者ヤン・ジシュカは農民中心のフス教徒を組織して戦いました。 彼は荷馬車を円形に連ねて十字軍の攻撃から守り、マスケット
(銃)のもとになった銃火器 ピシュチャラ(ピストルの語源。チェコ語で「笛」という意味。筒状で点火用の穴があるのが笛のようにみえるためこう呼んだ。)を発明・改良して世界で初めて戦いで使ったり20世紀の戦車の原型ともいえる戦闘車両を実現させた軍事的天才です。ジシュカの戦法と軍組織、兵器は世界の戦争を変えました。
 155年後、マスケットは日本にまで伝わり種子島あるいは火縄銃と呼ばれて長篠の戦いで織田信長
(1534-1582)に勝利をもたらすなど日本でも戦争のあり方を大きく変えたことは周知のとおりです。

ヴィトコフの戦いの後

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