「千年の王城」フラッチャヌィ城、通称プラハ城は代々のボヘミア王宮廷がおかれたヨーロッパ屈指の名城で、今もチェコ共和国の大統領府がある"現役の城"です。
しかしポジェブラッドのイジー王(在位1458-1471)の宮廷はフラッチャヌィ城にではなく、現在、プラハ市民会館が建っている場所にありました。1383年にヴァツラフ4世がこの場所に宮廷を移して以降、イジーの後のボヘミア王ヴラジスラフ・ヤゲロンスキーが1483年にプラハ城へ戻るまでの100年間はここが王の居城でした。
したがってイジー王と教皇特使ド・ヴェールが対峙する『スラヴ叙事詩』の場面は、現在市民会館が建っている場所でのことでした。
その後、貧民救済施設、神学校、士官候補生兵舎と建て替わり、1902年に取り壊された後、ボヘミア・ゼセッション様式のプラハ市民会館が建てられました。"アールヌーヴォー・スタイル"の市民会館が建った時、「新しすぎる」との非難が多かったのはそのような背景からです。
何度も建て替わってイジー王宮廷の痕跡は完全に失われましたが、市民会館の裏にある「クラーロドヴォルスカー Králodvorská (宮廷通り)」という道路の名前にわずかにしのぶことができます。(市民会館の隣にあるネオゴシックの火薬塔は、イジー王が亡くなった後の1475年に建設が始まったので、イジー王の時代には13世紀末後期ゴシックの城門と旧市街を囲む堀があった。)
『プラハ市民会館壁画』 ポストカードから
『プラハ市民会館壁画』 1912年
ポジェブラッドのイジー王 1420-1471 (ボヘミア王在位は 1458年から1471年)
プラハ市民会館 1912年
(左に見える古い建物は火薬塔と呼ばれるプラハ旧市街の門。かつては城壁と堀があった。)