聖母マリア
アトス山はギリシアとトルコの国境近く、エーゲ海につき出た半島にある2,033mの山です。聖母マリアがここで亡くなったとされるギリシア正教の聖地でローマカトリックのバチカンにあたるといわれます。土地のけわしさと修道院の様子は村上春樹さんの紀行文 でも知ることができます。
ミュシャは1924年にここを訪れました。私たち日本人にはあまりなじみはなくてもスラヴの歴史を縦につらぬく重要な位置にあるからです。
スラヴの心
「スラヴ叙事詩」の特徴と魅力は写実的な描き方と象徴的な表現にあります。なかでも「聖アトス山」は2つの特徴が見事に調和しています。
アトスの修道院を訪れた巡礼と祝福する修道僧を描いており、その上にはアトスにある20の修道院のうちの4つを持つ天使たち(知の天使ケルビム。カトリックの表現とはことなります)と修道院長がいます。ヒランダル修道院、アギウ・パンテレイモン修道院、ゾグラフウ修道院とヴァトペディ修道院の4つはそれぞれセルビア、ロシアとブルガリアの修道院です。アトスにある修道院はスラヴ各国の歴史との関連が強くヒランダル修道院もセルビアのドゥシャン皇帝のネマニャ王朝が寄進したうちのひとつです。
ブルガリアのシメオン皇帝が収集したスラヴ文学の精華はアトスの修道院におさめられてその後の歴史のなかで大きな役割を果たしています。そもそもシメオンが文学を集めたのも彼が一時司祭であったこと、メトジェイの弟子たちが大モラヴィア国を追われてシメオンにたよったことによります。
ミュシャは「スラヴ叙事詩」を一貫するスラヴの心の象徴として「聖アトス山 」を描いたのです。
日本で
1995年から97年に日本で開催した「ミュシャ−生涯と芸術−展」ではこの「聖アトス山」を東京。京都、下関、千葉、高知、北見、名古屋、郡山、横浜の各地で展示しました。
日本で 「スラヴ叙事詩」 を作品そのもので紹介する2回目のこころみです。