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ペトル・ヘルチツキー   悪をもって悪に報いるな ― 
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非暴力主義
 トルストイはペトル
ヘルチツキー(1390頃-1460頃)を「中世最大の偉人」と呼んでいます。ミュシャの考えと活動の根幹にはヘルチツキーの思想があるといっていいでしょう。
 カトリック対フス派プロテスタント教会、さらにフス教徒の間でも、パンとブドウ酒の聖餐を主張する親カトリック穏健派(ウトラキスト派)と武力革命でキリスト教理想社会実現を目指す「神の戦士」急進派(ターボル派)の対立抗争の時代に、ヘルチツキーは著作や説教で謙譲と忍耐と労働を提言し、暴力によらない宗教革命の方法として初期キリスト教会に似た自給自足の生活を実践しました。
 ヘルチツキーの非暴力・自由・平等の思想と実践から、農耕や手工業の質素な信仰生活を目指す「チェコ兄弟団
(友愛統合教団)」がボヘミア北東のクンヴァルトで1457年に誕生しました。
悪をもって悪に報いるな
 「チェコの魂」となったヘルチツキーの高い理想は現代民主主義の礎ともいえ、近代教育学の祖ヤン・アーモス
コメンスキー(1592-1670)、哲学者でチェコスロヴァキア初代大統領のトマシュマサリク (1850-1937)、1989年にビロード革命で自由化を実現させたヴァツラフハヴェル大統領 (1936-2011) を通じて世界の民主主義発展に寄与しています。インド独立の父マハトマガンディー 1868-1948) による非暴力・不服従の思想もトルストイを通してヘルチツキーの影響を受けています。
 宗教教団の「チェコ兄弟団」は1627年の「非カトリック教徒追放令」弾圧のためボヘミア、モラヴィアから離散、壊滅します。しかしヘルチツキーの思想は、地域やグループによって性格は変化しながらも、かえって世界中に広がることになります。ブレザレン
( bretheren 兄弟の複数形。兄弟、友愛、同胞と訳されるチェコ語の bratrskáが源になっている)など「兄弟」、「友愛」を名にもつ教団だけでなく、ヘルチツキーとチェコ兄弟団の思想は平和主義をかかげるプロテスタント・キリスト教会全体に及んでいるといえます。

 画面の奥ではボヘミア南部にあるヴォドニャニィ市が煙を上げています。フス派の町ヴォドニャニィは抗争に巻き込まれて反フス派軍の攻撃を受けたのです。町から逃れてきた負傷者や遺体が池のほとりに横たえられています。
 復讐を誓ってこぶしをあげる若者の手を押さえながら、ペトル ヘルチツキーが「悪をもって悪に報いるべきではない。それではさらに悪は増大して終わることがない」とさとしています。
 この池は今もヴォドニャニィ市とヘルチツ村を結ぶ道沿いにあります。ヘルチツキーの生まれ育ったヘルチツ側の池のほとりからヴォドニャニィを遠望して描いています。
 この絵の表現にも『ドイツ史 
― 歴史の場面とエピソード ― 』挿絵の経験が生きています。

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テンペラと油彩  1918年    405×620 cm
ペトル・ヘルチツキー

左 トルストイ (Lev Nikolayevich Tolstoy 1828-1910)
右 ガンディー (Mohandas Karamchand Gandhi 1868-1948)
どちらもチェコの切手

左 ハヴェル大統領 (Václav Havel 1936-2011)
  自由化をリードしてチェコスロヴァキア、チェコ共和国初代大統領に推された。
右 マサリク大統領 (Tomáš Garrigue Masaryk 1850-1937)
  チェコスロヴァキアを独立に導いた初代大統領