ソコルは、体育大会
1912年にプラハで開かれたソコル体育大会のポスター。1862年に始まったソコル大会は4年ごとの開催スタイルなどオリンピックにも影響を与えています。
少女は開催地のプラハ市を表し、ガウンの赤はソコル体育協会のシンボルカラーです。左手にプラハの市章を持ち、頭にもプラハの街を象徴する冠をつけています。右手には7つのスラブ菩提樹の輪を抱えています。7つの輪はスラブ・ソコル連盟に加盟している7つの国 (チェコスロヴァキア、ポーランド、クロアチア、スロベニア、セルビア、ブルガリア、ロシア) を表わしています。
ソコルは、タカ
後ろにいる人物は髪が長くて少女のようにも見えますが、肩の筋肉がソコルの若者を示しています。
両手に掲げている"タカ"(チェコ語で Sokol ソコル)と 輪はどちらもソコルのシンボルです。輪はソコルの連帯ですがとげのある輪は太陽を表し、太陽神で希望の象徴のスヴァントヴィト神を連想させます。
少女にまで届く若者の長い髪はここでは銀色ですが、スヴァントヴィトが連れているといわれるこれも太陽の象徴である金の巻き髪の少女を暗示し、ポスターを見る人の目を導いて ソコルの若者、鷹(ソコル)、少女、太陽神スヴァントヴィトを結びつける ミュシャ・デザインの要です。
太陽を象徴するスヴァントヴィトのシンボルカラーの赤がチェコの栄光の時代を表す色となりソコル協会もスヴァントヴィトの赤、栄光の赤を協会のカラーとしました。
ミュシャは同じ時期に制作していたプラハ市民会館市長ホールの壁画にもこのポスターとよく似たソコル、スラヴィア、スヴァントヴィトのイメージを描いています。
ソコルは、希望
"ソコル Sokol"はチェコ語で鷹(タカ)を意味します。ソコル協会は若者の体を鍛えることを目的として1862年に結成された体育運動の組織でしたが時代とともにオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあるスラヴ諸民族の連帯を促す運動へと変ってきました。タカは鍛えられた若者の勇敢さを、 とげのある輪は太陽をあらわし未来の希望を象徴しています。
ナチス・ドイツ占領時代と社会主義の時代にはソコルの祭典は禁止され1955年からは共産党支配のもとで「スパルタキアーダ」と呼ぶマスゲームを5年おきに開催していた。
自由化後1994年に「ソコルの祭典」は復活し現在は6年ごとに開催している。
チェコ系市民とドイツ系市民の分断が進む中、"オーストリアからの独立を目指して青少年の身体を鍛えるため"というソコル運動はともすれば政治活動化・軍隊化しがちで外部からも内部でもそのような圧力はあった。
しかしヒュグナーとティルシュの2人は政治化・軍隊化を頑として拒絶した。ヒュグナーには「ハプスブルク王朝の圧政、皇帝、教会への抵抗と反感はチェコの民主主義精神と自由主義精神によるもの」という理念があったからである。
左 ソコル協会 初代会長 インジフ・ヒュグナー Jindřich Fügner (1822-1865)
右 初代副会長 ミロスラフ・ティルシュ Miroslav Tyrš (1832-1884)
1948年第11回ソコル祭典の切手
戦後初のこの大会では30万人近い参加者があったが、この年にクーデターで政権を奪った共産主義政権への反発が顕著だったため共産党はソコルの活動を禁止した。そのためソコル協会は国外で活動せざるを得なくなった。
第6回ソコル大会
とげのあるソコルの輪をデザインしたポスター
「サロン・デ・サンのミュシャ展」 1897年 (右)
「ブルックリン美術館のミュシャ展」 1920年 (左)
プラハ市民会館市長ホール壁画のソコル
第6回ソコル地方大会 1912年 リトグラフ
1994年のソコル大会記念切手
「スラヴ叙事詩―スラヴ菩提樹の下で宣誓する若者たち(部分)」、「プラハ市民会館市長ホール天井画」、「新聞用切手」