オリジナル
トレースした模倣品
ミュシャのオリジナルデッサン
『春 装飾パネルの下絵』 (1897年)
モラヴィア国立美術館
「ビザンティン風の頭部」オリジナルリトグラフには周囲の装飾模様はありません。
1897年から1898年にかけて、周囲に装飾を加えたものやカレンダーに仕立てたものなど5種類のアレンジ商品が出ました。それ以外のものはすべて後世の模倣複製品です。ミュシャの人気を証す参考品にはなりますが、複製品を美術館、展覧会や販売の場でミュシャ作品として扱うと贋作になってしまいます。
展覧会展示物 贋作 「生まれ故郷 イヴァンチッツェの思い出」 (部分)
展覧会展示物 贋作 「生まれ故郷 イヴァンチッツェの思い出」 (部分)
プラハで開催した 「ヤルミラ・ミュシャ・プロツコヴァーによるミュシャ オリジナル・デザインの現実化( Realization)展」
左 『装飾資料集』 菊のブローチ 中 『装飾資料集』のアクセサリー展示コーナー 右 会場のパネルから ヤルミラさんとミュシャの写真
「ブローチ アザミ」は、デザインはミュシャですがミュシャの作品ではありません。現代になってつくられ、解説にある1900年制作ではありません。また、ミュシャがデザインしたのは「菊」であって、タイトルの「アザミ」は間違いです。
ミュシャの息子イジーは、彼の娘でミュシャのただ一人の孫ヤルミラの造形作家としての才能を認め、父アルフォンス・ミュシャがデザインだけを残した装飾品や食器などの現実化(Realization)計画を2人で進めました。計画進行中の1991年にイジーは亡くなりましたがヤルミラさんは今も計画を継続しています。成果の一部は2017年東京のミュシャ展会場、駐日チェコ大使館チェコセンターでも展示紹介されました。
展示品「ブローチ アザミ」は、ヤルミラさんがこの計画の中で制作した作品の一つで、2009年プラハで開催したヤルミラさんの展覧会で展示していました。この後コレクターの手に渡ったのでしょう。
「ブローチ アザミ」はミュシャ作品ではなくミュシャのデザインを現代に現実化した装飾品『キク』であり、ミュシャデザインによるヤルミラ・ミュシャ・プロツコヴァーさんの作品『菊のブローチ』です。
正当な「作品」ですが、それをミュシャ作品として展示すると、無知による間違いであっても「贋作」になります。
展覧会展示物 現代の複製品
「ブローチ アザミ」
ミュシャ オリジナル作品
『装飾資料集』 から 「菊のブローチ」(部分)
ミュシャ オリジナル作品
『装飾資料集』 から
ミュシャのオリジナルデザインの額
左 『スラヴィア』 プラハ国立美術館
右 『ジャンヌダルク』 メトロポリタン美術館
「髪」は、緊密な画面構成とともにミュシャの造形的な特色のひとつですが、意図と役割があり奔放に見えて見事なバランスを保っています。しかし「鏡を持つ少女」の髪にはデザインの意図も抑制もない乱雑な筆づかいで、のたうつ蛇のような不快感があります。
ミュシャ作品には、メッセージ性とそれによる品位があります。しかし「鏡を持つ少女」にメッセージなどないのはもちろん、少女のポーズ、手指、頭のヒナゲシ、スコップのような手鏡はどれもデッサンがくずれておりアンバランスです。ミュシャがこのような絵を描くことはありません。
図録解説では額縁をミュシャのオリジナルとしていますが、ミュシャの額はどれもこのような平凡なデザインでなくそれぞれに意味があります。
展覧会展示物 「油彩画 鏡を持つ少女」 贋作
ミュシャ オリジナル作品
『ジョブのポスター』(部分)
『スラヴィア』(部分) プラハ国立美術館
展覧会展示物 オリジナルではない複製品
「装飾皿 ビザンティン風の頭部」 左 ブロンド 右 ブルネット
展覧会展示物 オリジナルではない模倣品
「花瓶 ビザンティン風の頭部」
展覧会展示物 贋作 サイン偽造
「素描 テレザ・トラブル」
展覧会展示物 贋作 サイン偽造
「素描 テレザ・トラブル」
左側 「素描 テレザ・トラブル」にある偽造サイン
右側 「素描 テレザ・トラブル」にある偽造サイン
どちらもミュシャの筆跡ではなく、ミュシャ作品を知る人であれば誰でも一見して偽造とわかるレベルの偽造サインです。
展覧会展示物 「ブローチ 少女と真珠」 贋作
ミュシャ オリジナルデザイン G.フーケ作
『ブローチ』 ヘッセン州立博物館
展覧会展示物 贋作
「彫刻 春 胸像」
展覧会展示物 贋作
「置時計 胸像 四季 春」
ミュシャ オリジナルデザインの胸像
『ラ・ナチュール(自然)』 土居君雄コレクション
ミュシャ オリジナル作品
『装飾資料集』から(部分)
ミュシャを模倣した贋作
「水彩画 四季:春の習作」
展覧会展示物 「水彩画 ヒナゲシ」 贋作
ミュシャ作品
チェコの個人所蔵「ミュシャ展」展示物には、「ポスター《イヴァンチッツェ地方の見本市》のための習作」、「生まれ故郷、イヴァンチッツェの思い出」と題するものもあります。これも原画オリジナルはモラヴィア国立美術館(Moravská galerie v Brně)所蔵で、ふだんはイヴァンチッツェ市のミュシャ記念館に展示しており、個人の所有物ではありません。
描かれている「塔」は、ミュシャの故郷イヴァンチッツェ市のシンボルであるだけでなく、外敵の来襲から町を護る中世の望楼を教会の鐘楼にした歴史があり、9世紀頃から町の歴史とともにあったムハ(ミュシャ)一族らイヴァンチッツェ市民の誇りであるとともに、塔のすぐ前で生まれ鐘の音を聴いて育ったミュシャ個人にとっても人生を通して節目ごとに向き合ってきた、まるで自分自身を映す鏡のような大切な存在でした。その塔を雑に描くなどデッサン力に優れるミュシャにはあり得ません。
イヴァンチッツェ市のミュシャ記念館には、ミュシャが18才の時に描いた『塔』の絵があります。18才のミュシャは、ブルノから戻って父の配慮で裁判所書記になりましたが、役人には不向きと自覚してプラハの美術学校入学を希望するも「才能がない」という理由で受験すら許されないまま戻ったあと書記の職もクビになり、新聞広告で舞台美術工房の職を得てウィーンに向かう大きな転機にありました。希望と不安のなかで向き合って描いた『塔』です。
『イヴァンチッツェの思い出』の「塔」の脇には遠景にもうひとつ小さな教会堂が見え、そこに目が行くように描いています。イヴァンチッツェの歴史の重要な教会堂です。「ミュシャ展」展示物にも教会堂らしいものが添えられていますが、贋作を描いた人物はイヴァンチッツェ聖母被昇天教会もこの教会堂の歴史も理解しないで、おそらく過去の展覧会図録の図版をそのまま写したのでしょう。また『イヴァンチッツェの思い出』のツバメの群れはデザインの要なのですが、引き写した者はミュシャのデザインもその意味も全く理解していません。
「素描 ポスター《イヴァンチッツェ地方の見本市》のための習作」も、ポスターあるいは図版をなぞったもので、2人の少女もモラヴィアの少女ではありません。両展示物にはミュシャ作品の品位、繊細な美しさは見られません。
ミュシャ オリジナルリトグラフ
「ビザンティン風の頭部 ブルネット ブロンド」
ミュシャ 『イヴァンチッツェの思い出』 オリジナル モラヴィア国立美術館
ミュシャ 『イヴァンチッツェの思い出』 オリジナル (部分)
ミュシャが18才の時に描いた聖母被昇天教会の塔
モラヴィア国立美術館
現在のイヴァンチッツェ聖母被昇天教会塔 写真