ミュシャ

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ミュシャ生家

ミュシャ死亡記事

イジー・ムハ (作家、ミュシャの子息)
 象徴主義の理念はムハ
(ミュシャ)の女性像に投影している。これらの作品は神聖なものに近い。なぜなら不死であり不変であり、見る者に善意あふれるエネルギーの流れや感動、そして美を感じさせるからだ。
 このような傑作を見ることで二つの精神、つまり見る者の受動的な魂と、活発で一段と高く多くの人々に永遠の喜びを与える作品の魂が一体となるのだ。

イジー・コタリーク
 
(プラハ国立美術館元館長・チェコ芸術院会員)
 アルフォンス・ミュシャの芸術は出発点だけでなくその成長や成熟の全過程を通じて祖国チェコとのつながりを無視することができない。
 この芸術家がチェコ文化に対してどれほど深い関係をもっていたか、国家の文化の過程や20世紀初頭の新しい動向にどれほど参画していたか、それについては彼の全人生と作品が物語っている。

ペトル・ヴィトリフ (プラハ・カレル大学美術史学科教授)
 『スラヴ叙事詩』の重要さは学校で教えられる歴史の枠を越え、個々の絵への興味を越えた問いかけを提示することなのである。『スラヴ叙事詩』の一枚一枚の絵は、地上の行為の現実性と超自然なもの、あるいは歴史上の奇跡的な不条理との力強い接触を表現している。
 今日の人間をも開眼させる可能性を秘めた永遠の問いかけを与え続けることは決して意味のないことではない。

ヴラスタ・チハーコヴァー (美術評論家)
 ミュシャこそはチェコの伝統絵画の線的表現を最高度に高めた画家であり、しかも線のリズムやメロディー、愉楽とノスタルジーによって自らが心の奥底までチェコ人であることを証明している。
 絵画から出発してデザインの前衛を形成したコスモポリタン ミュシャは、再びデザインから絵画の原点に戻ってチェコ人ムハとしてきわめて独創的な個性をもった画家となった。

イジー・ムハ (作家、ミュシャの子息)
 アール・ヌーヴォーの芸術家の中でもミュシャがたぶん最も巧みに時代の要請に応え、装飾的曲線や夢見るような女性像の世界へ人々を連れ戻し、ノスタルジーを呼びおこして人々を魅了した。
 そしてミュシャが工芸芸術のあらゆる分野にわたる仕事をしていたことがまもなくわかった。一部の仕事しかこなしていない他の芸術家と違ってミュシャのスケールは大きく、どの分野にも貢献していたのだ。

レオン・デシャン (『ラ・プリュム』芸術出版社社主)
 両手をさしだしながら金髪の青年が近寄ってきた。彼のまなざしは柔らかくかつ力強い。私たちは間近にミュシャを見た。髪はかなり長く、額の上で快いカールを作っていた。
 無頓着とは思えない素振り、時折考え深げにはさみで切りそろえたあごひげをなでる。全くの気取りのなさ、謙虚さ、極端ともいえる簡素さ、こうしたことは非常に若くして大変成功した今日の芸術家には予想できないことである。

アンナ・ドヴォルジャーク
 (ノース・カロライナ州立大学教授)
 『スラヴ叙事詩』は再発見され再評価されるだろう。
 色と光の扱いに支えられて構図は緊密な統一性を保っている。人物はポーズのぎこちなさがなく空間の配置はみごとである。
 テンぺラ絵の具と油絵の具の組み合わせのおかげで、この画家はその有名な秘めた色調を堅持し、より華やかなディテールによる効果を強めることができた。

アンナ・シートン・シュミット
 (シカゴ・アート・インスティテュートでのミュシャの生徒)
 あれ以上鼓舞され、あれ以上啓発してくれる講義はなかった。強調しようとしたポイントは素晴らしいデザインで図解された。
 しかし、講義の真価は彼が芸術の道徳的な見方を強く主張することにあった。あらゆる偉大な作品の背後には必ず品性の高潔さがあり、「自然」を細心の注意を払って根気よくスケッチすることだけが、学生をも想像力に富んだ装飾の域にまで到達し得るようにしてくれるということであった。

イジー・コタリーク
 (プラハ国立美術館元館長・チェコ芸術院会員)
 日本においても多くの人がミュシャの作品と日本の美術との関連性に注目し、日本美術の中にインスピレーションの源泉を読みとった。この関心に裏づけられて多くの貴重な作品を含むドイ・コレクションが成長し、やがて土居君雄氏とプラハ国立美術館と協力して日本での大きな展覧会が開かれ、チェコの偉大な文化が紹介された。
 日本でミュシャはヨーロッパの先頭に立つ画家の一人に育て上げられたのである。

ポール・ジョルジュ
 『ヨーロッパの芸術家』1897年3月7日号
 ミュシャの作品に見られる構図の独創性、人物配置の巧みさ、活気のある完成度の高さ、どれをもっとも高く評価するのがいいか、どれもがあまりにも優れていてひとつだけを取り出すことは難しい。
 これらの作品は、雄大性と単純さが共存していて日常生活の俗悪さや平凡さからかけ離れた世界のとても特別な詩情を放っている。

アラン・ヴェイユ (パリ・ポスター美術館館長)
 ミュシャの生涯はひとつの様式を作り、それを発展させ、恐らくこれまで誰もしなかったほど明確にその原理を打ち立てその完璧なかたちを死ぬまで表現しつづけた本物の芸術家の生涯である。
 アール・ヌーヴォーの様式が頂点を極めているのはミュシャの作品においてなのだ。彼のポスターかパネルの一枚を一瞥
(いちべつ)するだけで、アール・ヌーヴォーの本質そのものである時代の転換期の雰囲気や熱気が想像できる。

ウィリアム・グッドイヤー
 (美術館長兼ヴェニス・ミラノ王立アカデミー会員)
 親愛なるミュシャ殿、私は貴方の壮大な壁画『スラヴ叙事詩』は16世紀初期イタリア美術の時代以来、同種の中で最高の作品と思っております。
 彩色法、配合、ディテールの技法、そして主題の構想といった点をとっても、他のどの画家たちよりも貴方の作品は優れています。私の意見では、貴方は19世紀の全画家を含めて現代の第一級の画家なのであります。

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ペトル・ヴィトリフ (プラハ・カレル大学美術史学科教授)
 しかし何故こうまでミュシャへの関心が高いのだろうか? それは疑いもなくミュシャのグラフィック・アートの独得の美しさによっている。
 そこでは線と色がやさしく融和され魅力的な少女像によって永遠の春と限りない青春のイメージが生み出される。すべてが魔法の杖の一振りで心地よい形で満たされた光り輝くメルヘンの世界に変身してしまう。

アンナ・ドヴォルジャーク
 
(ノース・カロライナ大学教授)
 ミュシャの個人的貢献のうち最大のものは現実と寓意、物語とその象徴的意味、現存する人間と彼方の神々および祖先といった両面へのスタイリスティックな接近法である。
 歴史と絵画と象徴主義の結びつきは、『スラヴ叙事詩』の最も注目に値する特徴であり、それは『スラヴ叙事詩』のみににとどまらず、装飾芸術への関与のおかげで豊かになった芸術家の発展を示しているのである。

ミュシャ

― ミュシャを讃えて ―

マドレーヌ・バルバン (パリ国立図書館版画室名誉室長)
 ミュシャの運命は逆説そのものである。彼の本来の天命は祖国の過去や伝説を題材にした歴史を描くことであった。しかし彼の名声を決定的にしたのはすぐに消えてしまう運命にあるポスターを描いていたパリ時代だった。
 彼の名前はアール・ヌーヴォーのシンボルにもなっている。彼はこの時期を過ごしたために歴史画家としての本質的な仕事に遠回りを余儀なくされたのである。

イジー・ムハ (作家、ミュシャの子息)
 父の作品は民謡のようなもの、つまり作者が誰かということなど気にかけることなく皆が知っていて愛しているものになったのだ。
 父はこのことを最大の名誉と思うに違いない。私にはその確信がある。「もし芸術家が芸術のための芸術を生むことを意味するならば芸術家にはなりたくない。私は人々のために創る画家でありたい」と父は書いているからだ。