原故郷のスラヴ民族  ― スラヴ民族の起源 ―        

1912年 テンペラと油彩  610×810 cm

青 スラヴの連帯

平和を求めて
 民族大移動以前の紀元前後頃、スラヴ民族はバルト海と黒海にはさまれた地域に住み狩猟と農耕で暮らしていましたが、常に周辺の異民族の脅威にさらされていました。
 右側のスヴァントヴィト像には武器を持つ若者と平和を表す少女がすがりつくように寄り添い、スラヴ民族の独立と幸福の希求を象徴しています。
青い夜空
 実際にこの作品を見るとひきこまれるような青い夜空がたいへん印象的です。深い青を白くかがやく星がきわだたせます。
 "青"はスラヴの原点を象徴するたいへん重要な意味を持つ色です。この青い空はスヴァントヴィトの白い衣装を印象的にするだけでなく画面全体そして「スラヴ叙事詩」全体の意味を伝える効果もあわせて持っています。ミュシャは深く澄んだ青を表現するためにデッサンをなんどもくりかえしています。
 一般にミュシャは装飾画家と誤解されることが多いですが、デッサン力、画面構成力にすぐれ、色彩画家としても第一級の画家です。この作品の深く澄んだ青い空には色彩でメッセージを語るミュシャの魅力が凝縮されています。
スヴァントヴィト
 スヴァントヴィトは古代西スラヴの全能の神とされています。バルト海のルヤナ島
(現在はドイツ領のリューゲン島)のアルコナに神殿がありました。戦争の神とされていたのが中世には太陽信仰と結びついて平和と希望の象徴に変わってきたようですが、四つの顔(三つとも)、剣と角杯(リュトン)を持ち、金色の巻髪の少女と白馬を従えていると伝わっています。
 この絵ではスヴァントヴィトの属性のすべては備えていません。しかし、腰の剣、寄り添う若者と少女、また衣装の白と赤によってチェコの人たちがスヴァントヴィト神をイメージするように描いていることは明らかです。夜空の深い青とスヴァントヴィトによってミュシャはスラヴが一つだった時代を表しました。
脅威
 農耕と狩猟で暮らしていたスラヴ人は周囲の遊牧民や騎馬民族に追われ、土地を求めて部族ごとに移動してロシアから中欧の広い地域に住むようになりました。この作品ではスラヴ民族の原点とともに脅威にさらされ続けた歴史を描いていますが、若いころにパリでかかわった「ドイツ史
―歴史の情景とエピソード―」の挿絵(それもミュシャのではなくロシュグロスの挿絵)に通じる表現が見られます。
 

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