チェコ時代 へ

スラヴィア
Slavia

ステンドグラス

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『スラヴィア
(ジョセフィン・クレインの肖像)
1908年 油彩 プラハ国立美術館

 「スラヴィア」は"スラヴの理想"などを女性の姿で象徴したものとされています。アトリビュート(持物)によってさまざまな意味が加えられ定まった形式はありません。多くはスラヴ菩提樹を頭に飾った女性の姿で描いています。スラヴィアというタイトルをもつ"ジョセフィン・クレーンの肖像画"にもっとも特徴が表れているといえるでしょう。ハーモニーチェコの心ブルノの南西モラヴィア宝くじの"チェヒア"は"チェコを象徴するお母さん"でチェコを象徴する子どもと一緒にいるのに対し、"スラヴィア"は正面向き単独の姿で描かれることが多く、チェヒアとともにチェコの"未来の希望"の表現です。
 "チェコの画家ミュシャ"は58才までは"オーストリア人"でした。ポジェブラッドのイジー王が1471年に亡くなったあとマサリク大統領が誕生する1918年まで、ボヘミア
(チェコ)は外国の王にずっと支配されていたのです。
 19世紀後半になるとオーストリア・ハンガリー帝国内でスラブ人の自治権を求める活動が盛んになり独立を目指す運動も一部では起こってきました。ミュシャはそのような政治的社会的運動に理解を示しつつも芸術家として別の道を歩んでいました。
 予言者
(A Sibyl 女占い師)というミュシャの油彩画があります。占いで「将来よくないことが待ち受けている」という予言を伝える場面ですが告げられた女性は「そのような不幸が若い自分の身に起こることはない」と考えています。イラーセク(Alois Jirásek 1851-1930)チェコの歴史物語が反映しており、絵の女性はチェコを表していると当時のチェコ人には理解できました。チェコは翌年に独立して長い暗黒から解放されます。そのような時代にあってこの絵が注目されることはありませんでした。しかし、チェコの幸せな時代はわずか20年で終わりナチスドイツの占領、共産党一党支配と50年の暗黒時代を迎えます。ミュシャは画家であって予言者ではなくもちろん予見できたのではありません。「人類の歩みは、気温のグラフのように上がったり下がったりして進む。しかし結局は上がるのだ」、そう考えていたミュシャがこの絵で描いたのはスラヴィアと同様、上がったり下がったりする歴史のその先にある"未来の希望"だったのです。

スラヴィア
『プラハ聖ヴィート大聖堂ステンドグラスから
1931年

『スラヴィア (部分)
(ジョセフィン・クレインの肖像)
1908年 油彩 プラハ国立美術館

『1918-1928(部分)
チェコスロヴァキア独立10周年のポスター
1928年 リトグラフ

『スラヴィア保険 保険証書』
1907年

『スラヴィア
1920年 油彩
Jiří Mucha コレクション

『チェコの心
1917年 油彩
プラハ国立美術館

『予言者 (女占い師)
1917年 油彩
土居君雄コレクション

『スラヴィア保険 保険証書』
1907年