聖ヴィート大聖堂ステンドグラスのもうひとつのデザイン案(左)ではハトにかこまれたスラヴィアを中央に置いています。
 両脇に聖ツィリルと聖メトジェイの二聖人を配置しているとはいえキリスト教の教会堂、それも国の中心にある大司教区大聖堂のステンドグラスに異教のシンボルを中心にする例はほとんどありません。
 完成した現在のステンドグラス(右)でも最上部のキリストの真下、より中心に近いところにスラヴィアを描いていて非常に珍しいデザインです。
 普通このような配置は異教のスラヴィアがキリスト教に改宗し帰依したことを意味しますが、ミュシャのデザインはもちろんそのような表現ではなく、スラヴ中心のステンドグラスです。

 国の中心ある大司教区大聖堂のステンドグラスにBANKA SLAVIE(スラヴ保険銀行)という企業名があるのは非常に珍しい例です。
 聖ヴィート大聖堂は16世紀から建設が続いていましたが、戦争があったり他国の支配を受けていたため数百年のあいだほとんど滞っていました。19世紀半ばになって、パン・スラヴィズム(汎スラヴ主義)民族運動の高まりとともに一般チェコ人たちの寄付が寄せられてようやく大聖堂建設が進みはじめました。
 ミュシャの『スラヴィア』を早くから保険証書のデザインに使っていたスラヴ保険銀行は、大聖堂のステンドグラスのために多額の寄付をして、いわばスポンサーをつとめたことに対しチェコ国民はBANKA SLAVIEと記銘して感謝の気持ちをあらわしたので、大聖堂に企業名がある珍しいステンドグラスとなったのです。
(右は、ミュシャがデザインした『保険証書』)

なぜ 聖ヴィート?
 ボヘミアのキリスト教化に力を尽くしたヴァツラフ1世は、スラヴ神話の中心的な神スヴァントヴィト(Svantvit)と発音が似ている聖ヴィート(Svatý Vít スヴァティー・ヴィート)を聖堂の名称にしてキリスト教を知らない民衆やキリスト教化に反対する勢力の抵抗を和らげた。
 聖ヴィートは303年にイタリアで殉教した聖人だが、スヴァントヴィト信仰のあるスラヴ世界にキリスト教が伝わるとともに"聖ヴィート聖堂"がクロアチアはじめ各地につぎつぎ建立された。

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聖ヴァツラフと聖ヴィート
1600年頃、シュプレンガー

聖ヴァツラフ1世像
ヴァツラフ広場、国立博物館前。
ミスルベクの彫刻

聖ヴァツラフ1世像

ステンドグラスの聖ヴァツラフと聖リュドミラ

『聖ツィリルと聖メトジェイ』
油彩 1885年

聖ツィリル ステンドグラスの下絵とデッサンのための写真

ヴルタヴァ(モルダウ)川対岸から望むプラハ城の聖ヴィート大聖堂

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プラハ聖ヴィート大聖堂のステンドグラス
1931年

チェコ時代

チェコの中心
 プラハの中心にあるプラハ城(フラッチャヌィ城)聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの窓です。豊かな色彩が見事に秩序づけられていてミュシャが優れた色彩画家であることがよくわかります。
 ゴシック・スタイルの大聖堂(正式名称 聖ヴィート聖ヴァツラフ聖ヴォイチェフ大聖堂)は、10世紀にこの地にあった聖ヴァツラフのロトンダ
(円形の教会堂)の跡に建っています。ボヘミア王ヴァツラフ1世(907-935年 在位921-935年)は、925年に東フランク国王から聖ヴィート(303年に殉教した聖人 ラテン語で聖ヴィトゥス)の遺骨を譲られ、記念のロトンダを建てました。今も大聖堂の下にロトンダの遺構を見ることができます。
 現在の大聖堂はカレル4世
(ボヘミア王カレル1世、神聖ローマ皇帝カール4世)によって14世紀半ばに建造が始まりましたが、戦争や外国の支配のためやむなく中断することがありました。19世紀後半になってチェコ国民の寄付と企業の協力により建設を再開し、ようやく完成したのは20世紀のことです。
スラヴィアのステンドグラス
 ミュシャはステンドグラス制作にあたっていくつもの下絵を残しています。実現した最終案では、10世紀ボヘミアの王でチェコの守護聖人聖ヴァツラフとその祖母 聖リュドミラを中心に置き、左右には、9世紀のスラヴ世界にキリスト教をもたらしスラヴの言葉で布教につとめた聖ツィリルと聖メトディウス兄弟の生涯と事蹟(おそらく「パンノニア伝説」の「コンスタンティノス伝」と「メドディオス伝」を下地にしたもの)を描いています。
 ヴァツラフ1世は、ツィリルとメトディウスが伝えたギリシャ正教からカトリックに転換してドイツに近づいたわけですが、それによってボヘミアはのちに神聖ローマ帝国内の重要な一翼となりその後の繁栄につながります。
 最上部にキリスト像を描いていますが、その下にはスラヴィアを配し、下部のBANKA SLAVIE(スラヴ保険会社)の文字をかこむ装飾などスラヴ色の豊かなステンドグラスです。
息子イジー
 中央に少年の姿で描かれている聖ヴァツラフはミュシャの息子イジーをモデルにしています。