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聖ツィリルと聖メトジェイ
油彩 1885年

ステンドグラスの聖ヴァツラフと聖リュドミラ

聖ツィリル ステンドグラスの下絵とデッサンのための写真

ヴルタヴァ(モルダウ)川対岸から望むプラハ城の聖ヴィタ大聖堂

聖ヴァツラフ1世像
左はプラハのヴァツラフ広場国立博物館前にあるミスルベクの彫刻

 聖ヴィタ大聖堂ステンドグラスのもうひとつのデザイン案(左)ではハトにかこまれたスラヴィアを中央に置いています。
 両脇に聖ツィリルと聖メトジェイの二聖人を配置しているとはいえ、キリスト教の教会堂、それも国の中心にある大司教区大聖堂のステンドグラスに、異教のシンボルを中心に置く例はほとんどありません。
 完成した現在のステンドグラス(右)でも最上部のキリストの真下、より中心に近いところにスラヴィアを描いていて非常に珍しいデザインです。
 普通このような配置は、異教のスラヴィアがキリスト教に改宗し帰依したことを意味しますが、ミュシャのデザインはもちろんそのような表現ではなく、スラヴ中心のステンドグラスです。

 国の中心ある大司教区大聖堂のステンドグラスにBANKA SLAVIE(スラヴ保険銀行)という企業名があるのは非常に珍しい例です。
 聖ヴィタ大聖堂は16世紀から建設が続いていましたが、戦争があったり他国の支配を受けていたため数百年のあいだほとんど滞っていました。19世紀半ばになって、パン・スラヴィズム(汎スラヴ主義)民族運動の高まりとともに一般チェコ人たちの寄付が寄せられてようやく大聖堂建設が進みはじめました。
 はやくから保険証書にミュシャがデザインした「スラヴィア」を使っていたスラヴ保険銀行は、大聖堂のステンドグラスのために多額の寄付をして、いわばスポンサーをつとめたことに対しチェコ国民はBANKA SLAVIEと記銘して感謝の気持ちをあらわしたので、大聖堂に企業名がある珍しいステンドグラスとなったのです。
(右は、ミュシャがデザインした「保険証書」)

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プラハ聖ヴィタ大聖堂のステンドグラス

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プラハ聖ヴィタ大聖堂のステンドグラス
1931年

チェコ時代

チェコの中心の教会
 プラハの中心にあるプラハ城(フラッチャヌィ城)聖ヴィタ大聖堂にあるステンドグラスの窓です。豊かな色彩が見事に秩序づけられていて、ミュシャが優れた色彩画家であることがよくわかります。
 ゴシック・スタイルの大聖堂は10世紀にこの地にあった聖ヴァツラフ
のロトンダ(円形の教会堂)を基盤に建てられています。東フランクの国王からヴァツラフ1世に譲られた聖ヴィート(チェコ語で聖ヴィタ)の遺骨をプラハ城内に埋葬して、その上に建てたロトンダが現在の大聖堂(正式名称は、聖ヴィタ聖ヴァツラフ聖ヴォイチェフ大聖堂)の礎になっています。
 現在の建築の建造は14世紀半ばにカレル4世によって始まりましたが戦争やオーストリア・ハプスブルク家による支配のためやむなく中断することがありました。19世紀後半になってチェコ国民の寄付と企業の協力により建設を再開し、ようやく完成したのは20世紀のことです。

スラヴィアのステンドグラス
 ミュシャはステンドグラス製作にあたっていくつもの下絵を残しています。最終的に実現したものは10世紀ボヘミアの王でチェコの守護聖人である聖ヴァツラフ(ヴァツラフ1世 907-935年 在位921-935年)とその祖母 聖リュドミラを中心に置き、まわりには9世紀のスラヴ世界にキリスト教をもたらしスラヴの言葉で布教につとめた聖ツィリルと聖メトディウス兄弟の生涯と事蹟を描いています。
 いわばヴァツラフ1世は、ツィリルとメトディウスが伝えたギリシャ正教からカトリックに転換してドイツに近づいたわけですが、それによってボヘミアはのちに神聖ローマ帝国内の重要な一翼となることにつながります。
 最上部にはキリストを描いていますがその下にはスラヴィアを配し下部のBANKA SLAVIE(スラヴ保険会社)の文字をかこむ装飾などスラヴ色の豊かなステンドグラスです。
息子イジー
 中央に少年の姿で描かれている聖ヴァツラフのモデルはミュシャの息子イジーです。