チェコ時代

第6回ソコル祭典(全スラヴ・ソコル祭典)
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リトグラフ 1912年

ソコルは 体育大会
 1912年にプラハで開かれたソコル協会祭典のポスター。ソコル協会
(1862年創立、当初の名称はプラハ体操協会)が開催する祭典は1882年に第1回大会が行われ、4年ごと(1994年復活以降は6年ごと)の開催スタイルなど近代オリンピックに影響を与えています。日本で今も盛んなラジオ体操もソコル大会から刺激を受けて1928年にはじまりました。
 ナチス・ドイツ保護領時代と共産党独裁時代
(1948年第11回の祭典のあと1989年まで)はソコル大会は開かれませんでした。1955年からは、反体制の動きを恐れる共産党によって「スパルタキアーダ」と呼ぶ社会主義色の強い体育大会が共産党管理のもとで続けられていました。自由化後の1994年に「ソコルの祭典」は復活し現在まで続いています。
 ポスターの少女は開催地のプラハ市をあらわし、ガウンの赤はソコル協会のシンボルカラーです。左手にプラハの市章を持っていて頭にもプラハの街を象徴する冠をつけています。右手にはスラブ菩提樹の輪を7つ抱えています。7つの輪は、1908年に結成されたスラブ・ソコル連盟加盟の7つの国と地域
(チェコスロヴァキア、ポーランド、クロアチア、スロヴェニア、セルビア、ブルガリア、ロシア) を表わします。
ソコルは タカ
 後ろの人物は、髪が長くて少女のようにも見えますが、肩の筋肉がソコルの若者を示しています。
 両手に掲げている「タカ
(チェコ語で Sokol ソコル)」と 輪はどちらもソコルのシンボルです。輪はソコルの連帯ですが、「とげ」のある輪は太陽を表し、太陽神で希望の象徴のスヴァントヴィト神を連想させます。
 少女にまで届く若者の長い髪は、ここでは銀色ですが、スヴァントヴィトが連れているといわれる、これも太陽の象徴である金の巻き髪の少女を暗示し、さらに、ソコルの若者、鷹
(ソコ
ル)、少女、太陽神スヴァントヴィトを結びつけるように見る人の目を導く ミュシャ・デザインの要です。
 太陽を象徴するスヴァントヴィトの赤がチェコの栄光の時代を表す色となり、ソコル協会もスヴァントヴィトの赤、栄光の赤を協会のシンボルカラーとしました。
 ミュシャは、同じ時期に制作していた『プラハ市民会館市長ホールの壁画』にも、このポスターと同じ構図でソコル、スラヴィア、スヴァントヴィトのイメージを描いています。
ソコルは 希望
 「ソコル Sokol は」はチェコ語で鷹(タカ)を意味します。ソコル協会は「汎スラヴ主義」の影響下、若者の体を鍛えることを目的として1862年に結成された体育運動の組織でしたが、時代とともにオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあるスラヴ諸民族の連帯を促す運動へと変ってきました。タカは鍛えられた若者の勇敢さを、 とげのある輪は太陽をあらわし未来の希望を象徴しています。

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 チェコ系市民とドイツ系市民の分断が進む中、「オーストリアからの独立を目指して青少年の身体を鍛えるため」というソコル運動は、ともすれば政治活動化・軍隊化しがちで、外部からも内部でもそのような圧力はあった。
 しかしヒュグナーとティルシュの2人は、政治化・軍隊化を頑として拒絶した。ヒュグナーには「ハプスブルク王朝の圧政、皇帝、教会への抵抗と反感は、チェコの民主主義精神と自由主義精神によるもの」という理念があったからである。

 左 ソコル協会 初代会長 インジフ・ヒュグナー Jindřich Fügner (1822-1865)
右 初代副会長 ミロスラフ・ティルシュ Miroslav Tyrš (1832-1884)

 『第6回ソコル祭典』のポスターはチェコ語ポスター本体の下に開催期間を告知する文字部分を貼りあわせて掲示した。会期の文字部分は三種類の異なる版、チェコ語(上)、フランス語(下)とロシア語版が存在する。
 1912年ソコル祭典の会期は、チェコ語版とフランス語版では6月28日から7月1日なのに、ロシア語版ポスターでは6月15日から18日となっている。これはロシアではロシア暦(ユリウス暦)を使っており、西暦(グレゴリオ暦・太陽暦)とは当時13日のずれがあったため。暦による表記が異なるだけで開催日そのものはもちろんは同じ。

プラハ市民会館市長ホール壁画のソコル

プラハ市 市章
どちらもスラヴ菩提樹を飾っている。

「とげのある輪」 と 「見る人の目を導く髪」 をデザインしたポスター
『サロン・デ・サンのミュシャ展』 1897年 (右)
『ブルックリン美術館のミュシャ展』 1920年 (左)

1994年のソコル祭典復活記念切手 (左)
スパルタキアーダの記念切手 (右1953年)

ソコル (鷹) 左 『スラヴ叙事詩』から(部分)、 中 『プラハ市民会館市長ホール天井画』、 右 『新聞用切手』

1948年第11回ソコル祭典の切手
 戦後初のソコル大会。30万人近い参加者があったが、この年2月のクーデターで政権を奪った共産主義政権への反発が顕著だったため、共産党はソコルの活動を禁止した。そのためソコル協会は国外で活動せざるを得なくなった。

 ナチス・ドイツ占領時代と社会主義の時代にはソコルの祭典は禁止され、1955年からは共産党支配のもとで「スパルタキアーダ」と呼ぶマスゲームを5年おきに開催していた。
 自由化後1994年に「ソコルの祭典」は復活し、現在は6年ごとに開催している。

『スラヴ叙事詩』 入口

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