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ロシア復興

スラヴ叙事詩

スラヴ叙事詩展

プラハ聖ヴィタ大聖堂のステンドグラス

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リトグラフ 1922年

チェコ時代

"聖母子"と"ピエタ"
 「幼子イエスを抱く 聖母マリア」を思わせるポスターは 「ロシアは救われねばならない」 とラテン語で呼びかけています。
 ロシアでは1917年の革命後も内戦の混乱が続き、戦時共産主義導入によって農業と工業が崩壊、燃料危機、食糧危機をもたらし、1920年の大凶作、さらに1921年から1922年には多数
(100万〜500万人)の餓死者が出るロシア飢饉に陥りました。
 経済が破綻したロシア救援の活動が党派を超えて国際的に呼びかけられました。
 抱かれている幼児は救援を待っている子どもたちであり、同時に4才の新生ロシア
(ロシア・ソヴィエト共和国 後のソヴィエト社会主義共和国連邦(1922年12月30日成立))をあらわしています。
 幼児が腕をだらりと下げているのは、眠っているのではなく 死んでいることをあらわす絵画表現
(腕の状態によって眠りと死を描きわける西洋絵画の約束事)です。このポスターが「聖母子」だけでなく「ピエタ」 (十字架で死んだイエスの遺体を抱いて悲しむ聖母マリアの像) を思い起こさせるため、欧米キリスト教圏の人々に強く訴えかけます。(ミュシャの『ロシア復興』と同じく、幼子イエスが手をだらりと下げて"ピエタ"を思わせる"聖母子像"にはパルミジャニーノの『首の長い聖母』があります。)
誰にもわかるように
 ミュシャは、どの国でも理解できるように「聖母子」と「悲しみの聖母」のダブル・イメージでポスターを描き、キリスト教世界共通の古典語ラテン語でロシア救済を訴えました。この呼びかけにこたえてアメリカが食料船を送ったのをはじめロシア農民救援の募金運動が世界各国で広がり、さらにロシアとドイツの国交が回復してイギリス、イタリア、中国
(中華民国)、日本などがソビエト連邦を正式に承認するきっかけにもなりました。

『なでしこの聖母子』 1508年頃
ラファエル(1483-1520)
ナショナル・ギャラリー・ワシントン蔵

『聖母子』 1891年

『ピエタ』 1500年頃
ミケランジェロ(1483-1520)
ヴァティカン美術館蔵

『首の長い聖母』 1535年頃
パルミジャニーノ(1503-1540)
ウフィッツィ美術館蔵

幼子を抱くチェヒア
『ハーモニー』から(部分) 1908年

『スラヴ叙事詩』 入口

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