祝祭劇
 オリンピックはソコル大会のやり方をとりいれています。4年ごとの開催、運動競技以外にさまざまな芸術展示をするなどです。1926年のソコル大会では大規模な野外劇を行いました。ミュシャのプロデュースによるスラヴの祝祭水上パレードです。
 チェコの歴史と伝説の各場面を象徴する船が次々とヴルタヴァ川
(モルダウ川) を進み、ストゥジェレツキー島(川の中島)には大じかけの舞台を設け、 観客は両岸から見るという壮大なページェントでした。
 ポスターにはソコルの若者たちを描いています。手前の若者が持つ旗にはソコルのシンボルの鷹
(チェコ語でソコル)がとまっています。中ほどには体操姿の青年を描き、背景でスラヴィアが彼らを祝福しています。スラヴィアは普通スラブ菩提樹を頭に飾っていますが ここではスラヴ菩提樹の輪に囲まれて頭にはチェコ国民をあらわす野の花を飾っています。
マカルト
 1879年、ウィーンでオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフと皇妃エリーザベト成婚25年を祝う盛大な祝祭行列があり、ヨーロッパ中の話題になりました。ウィーンに来たばかりの18才のミュシャも行列の壮大さに圧倒されました。(祭を「行列」で行うスタイルは、1895年に始まった京都平安神宮の「時代祭」にも影響している。)
 祝典ページェントの総監督はウィーンで人気絶頂のハンス・マカルト
(Hans Makart 1840-1884)がつとめました。ミュシャは画風だけでなく画家としての生活スタイルなどマカルトから多大な影響を受けており、1926年のヴルタヴァ川の水上パレードの計画もマカルトにならったものでした。
大雨で
 野外劇と水上パレードのテーマは、完成間近だった『スラヴ叙事詩』と共通しています。歴史上の人物に扮する役者、コーラスなど数百人が60隻の船で登場し、巨大なスヴァントヴィト神像や祭壇を設けて8つの場面で構成するページェントを7月3日から6日まで4夜にわたって催す壮大な計画だったのですが、降りだした大雨で急激に川が増水して初日のわずか1時間ほどで中止になってしまいました(4夜にわたる上演構成は、ちょうど50年前の1876年バイロイト第1回音楽祭の『ニーベルングの指輪』(ワグナー Richard Wagner 1813-1883)の全曲初演を意識した)
 ミュシャは、壮大な祝祭パレードの成功でマカルトとワグナーに並ぶことはできませんでした。しかし、わずか1時間で中断した祝祭劇であっても、チェコ国民の記憶には今も刻まれています。
ソコルの祝祭音楽
 1925年にソコル体育協会ヤナーチェク(Leoš Janáček 1854-1928)に祝祭劇オープニングのファンファーレ作曲を委嘱しましたが、その時ヤナーチェクは軍のための曲を構想中でした。ソコル協会からの打診がきっかけになってその曲の冒頭にバンダ
(本体オーケストラとは別の演奏グループ)によるファンファーレ風の金管合奏を置くことにし『シンフォニエッタ』Sinfonietta 「小さな交響曲」という意味のソナタ形式をとらない交響的管弦楽作品)として完成。1926年6月に国民劇場で初演しました。そのため『シンフォニエッタ』は当初『ソコルの祭典曲』とも『ミリタリー(軍隊)シンフォニエッタ』とも呼ばれました。陸軍に献呈する予定で作曲しましたが、チェコスロヴァキア独立を祝うファンファーレを冒頭に置き、タイトルから「軍隊」の文字を削ってヤナーチェク理解者支持者のイギリス人に捧げました。この曲が村上春樹さんの小説『1Q84』で知られる『シンフォニエッタ』です。ブルノの街と歴史をテーマにしたヤナーチェクらしい音型と構成の名曲です。
 余談ですが、ミュシャの息子イジー
(Jiří Mucha 1915-1991)の最初の妻カプラロヴァ―(Vítěslava Kaprálová 1915-1940)は作曲家・指揮者で、彼女の代表作『ミリタリー・シンフォニエッタ(1937)』はヤナーチェクのこの曲に刺激を受けて作曲されました。

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『スラヴ叙事詩』 入口

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スラヴ叙事詩

ヒヤシンス姫

モラヴィア教師合唱団

ブルノの南西モラヴィア宝くじ

イヴァンチッツェノ地方展

チェコスロヴァキア YWCA

ロシア復興

1918-1928

フォノフィルム

スラヴ叙事詩展

プラハ聖ヴィタ大聖堂のステンドグラス

第6回ソコル大会

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 チェコ共和国が2022年下半期のEU議長国となるのを記念して「コンサート・フォー・ヨーロッパ The Concert for Europe」が9月2日に開かれた。
 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートは、国民劇場とストゥジェレツキー島の間のヴルタヴァ川水上に特設ステージを組んで、指揮者が船から登壇したり、川に浮かぶ客席や船、両岸から鑑賞するスタイルは、ミュシャの『祝祭劇』の演出を十分に意識したものだった。
 EUの国歌ともいえるベートーヴェンの交響曲第9番『歓喜の歌』で幕を開け、ドヴォジャークの『謝肉祭』、スメタナの『ヴルタヴァ(モルダウ川)』、ヤナーチェク『グラゴール・ミサ』という チェコの歴史を表現するプログラムは1926年の祝祭劇を思い起こさせた。

祝福するスラヴィアのデッサン  右は『スラヴィアの母性 Slavia matkám』の挿絵

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(左)『フランツ・ヨーゼフ皇帝、エリザベート皇妃成婚25年祝祭パレード』のデッサン(1879) マカルト
(右)マカルトの記念切手 (オーストリア 2011) 
2011年にウィーンのベルヴェデーレ宮でミュシャ展に続いて開催したマカルト展記念切手

スラヴィア母性の書 挿絵

祝祭劇のスケッチから

ヴルタヴァ川の祝祭劇 ―スラヴの兄弟たち―

ヤナーチェク(左)とカプラロヴァー(右)
チェコの切手

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旗竿にとまるタカ

 1926年の祝祭劇メインステージのストゥジェレツキー島は第1回ソコル祭典(1882年)の会場だった。
 写真は第1回祭典を記念する銘板。レリーフはミロスラフ・ティルシュ(Miroslav Tyrš 1832-1884)の肖像。

 ティルシュはソコル協会創立者の一人でソコル運動の理念、組織の基礎を築いた。美学者だったティルシュはソコル祭典の構成にも貢献した。
 生誕100年の1932年、チェコスロヴァキアはティルシュの肖像金貨を発行した。

スラヴの祝祭劇
第8回ソコル祭典    リトグラフ 1926年

チェコ時代