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イヴァンチッツェ市の紋章(現在)

教会塔の前にあるミュシャ記念館(現在の外観)
イヴァンチッツェ市旧市庁舎(15世紀)

ミュシャ記念館入口の銘板

 ミュシャは旧市庁舎の裏側にある棟続きの建物で生まれたが生家は取り壊されて今はない。右はミュシャ少年時代の面影が残る改修前の旧市庁舎(イヴァンチッツェ市提供)。
 現イヴァンチッツェ市庁舎の近くには"アルフォンス・ムハの名前をつけた通りがある。

現在のイヴァンチッツェ教区聖母被昇天教会
ミュシャの生家 写真。

イヴァンチッツェの教会塔とミュシャ生家

「イヴァンチッツェの思い出」

『スラヴ叙事詩』 入口

ヒヤシンス姫

モラヴィア教師合唱団

ブルノの南西モラヴィア宝くじ

イヴァンチッツェノ地方展

チェコスロヴァキア YWCA

ロシア復興

ヴルタヴァの野外劇

1918−1928

フォノフィルム

第6回ソコル大会

スラヴ叙事詩展

プラハ聖ヴィタ大聖堂のステンドグラス

チェコ

故郷イヴァンチッツェ
 イヴァンチッツェで開かれた地方物産展のポスター。イヴァンチッツェはミュシャの故郷で町の紋章もポスターには描かれています。
 ミュシャの祖先は9世紀ころの古くからこの
町に住んでいたようです。"ミュシャ(チェコ語ではムハと柔らかく発音する。昆虫の"ハエ"という意味)"という名前はチェコでもあまり多くないのですが、ここイヴァンチッツェでは普通に見られる名前です。
 ミュシャは生まれてからブルノの中学校に入学するまでとブルノから戻ってウィーンに向かうまでの数年間を故郷のイヴァンチッツェで過ごしました。
教会の塔と少女
 モラヴィアの美しい民俗衣装をまとった少女の背景にはイヴァンチッツェのシンボル、聖母被昇天教会の塔が描かれています。教会の前、パラツキー広場を挟んだ斜め向かいには当時の市庁舎があり、その裏手、市庁舎と棟続きの建物で生まれたミュシャは教会塔を見上げ鐘の音を聞いて育ちました。 イヴァンチッツェ市旧市庁舎の2階にミュシャを記念して市が開設したミュシャ展示室があります
(1980年代の社会主義時代には絵画教室がおかれていた。)。
 パリ時代に描いた『イヴァンチッツェの思い出』という水彩画にも塔と少女、市の紋章、群れ飛ぶツバメを描いています。
この『イヴァンチッツェの思い出』は1906年にイヴァンチッツェ市によって町のポストカードとして刊行されました。
イヴァンチッツェの地方展

スラヴ叙事詩

リトグラフ 1912年