巨大な連作
18年かけて制作したスラヴ叙事詩が1928年に完成して、大作20点の展覧会がプラハとブルノで開かれました。 展覧会を告知するポスターですが本紙にはタイトルがありません。
絵の下に 「スラヴ叙事詩展、絵で見るスラヴの歴史」 の文字と展覧会の会場と会期を知らせる文字部分を貼りあわせて掲示しました。
太陽の少女
ハープを奏でる少女は、スラヴ叙事詩の中の 『スラヴ菩提樹の下で宣誓する青年たち』 に描かれている少女です。
古代の吟遊詩人ルミールを思い起こさせる少女の後ろには、過去・現在・未来をあらわす3つの顔を持ち、角の杯と剣を手にしているスラヴの神スヴァントヴィトがいます。
スヴァントヴィトは古代では戦争の神でしたが、中世頃からは善の全能の神に変化して希望の神になりました。 金の巻き髪の少女を連れているとされ、少女の金髪は太陽を象徴しています。
ミュシャはスヴァントヴィト神をチェコの未来の希望のシンボルとして『南西モラヴィア宝くじのポスター』 などさまざまな作品に登場させています。
チェコ国民の宝に
ミュシャは、親チェコ派のアメリカ人チャールズ・クレイン(Charles R. Crane 1858-1939)の援助を得て制作したスラブ叙事詩20点を無償でプラハ市に寄贈しました。
ミュシャの計画は達成できたものの、スラヴ叙事詩が完成したときチェコスロヴァキアは悲願の独立をはたしてすでにチェコ史上で最も幸せな時代を迎えていました。美術の世界も20世紀の表現主義や抽象画の時代に移っており、当時のチェコの人たちは時代遅れの巨大壁画に当惑し
もてあましたのです。
しかし、その後チェコスロヴァキア共和国はナチス・ドイツに解体されて占領されます。第二次大戦後もソヴィエトによる共産党支配の圧政が続き、50年にわたって歴史の荒波に押し流される経験を経て、ミュシャのメッセージはチェコ国民の心に深く響きわたりました。
1989年、ミュシャの没後50年に、『スラヴ叙事詩』のうちのスラヴの春をテーマにした作品が日本で展示されているちょうどその時に、チェコはビロード革命を経て自由をとり戻します。革命の混乱が落ち着きはじめた21世紀になってようやくチェコ国民は時代を越えて語りかける『スラヴ叙事詩』のメッセージに耳を傾けるようになり「チェコ国民の宝」との認識が広がり始めたのです。
スヴァントヴィト神像。
希望の象徴である"金色の巻き髪の少女"をともなっている。
『スラヴ叙事詩展』(左 1928年 部分)
『南西モラヴィアの宝くじ』(右 1912年 部分)