目がとらえる
こちらを見つめる少女の目が印象的なポスターはミュシャ自身の2回目の個展のポスターです。口もとを手でかくしているためポスターを見る人の視線は目により強くひきつけられます。
2月のボディニエール画廊に続いて6月にラ・プリュム芸術出版社の画廊「サロン・デ・サン」で開いた個展でミュシャは油絵、パステル、デッサン、リトグラフなど448点もの作品を展示しました。
「サロン・デ・サン Salon de Cent」は直訳すれば「100のサロン」、百選展という意味です。日本でもデパートの催しなどに○○百選展とか○○百選街と銘うつのはこの「サロン・デ・サン」の名前からはじまったものです。
髪が導く
少女の目にとらえられた人の注意は目から少女が持つ紙の「ハート」と「輪」の模様、さらに長く伸びる髪に導かれてミュシャの展覧会をボナパルト通りで開催していることを知ります。たまたまポスターの前に通りかかった人の注意を引きつけてポスターの情報を伝える優れたデザインです。
少女はチェコの民族衣装と頭飾りをつけています。人気が高まるとともにそのエキゾチックな美しさから「ミュシャ」とはいったい誰か?何国人だろう?と人々の関心を集めていました。ミュシャは少女の頭にモラヴィアの野に咲くひな菊を飾って自分がモラヴィア出身のチェコ人であることを明らかにしたのです。
ハートとまわりの3つの輪は当時からルグランはじめいろいろな解釈で注目を集めました。あざみ、茨の輪、ハート はキリスト教的なシンボルです。しかしミュシャにとってはスラヴ連帯の運動「ソコル」をあらわしており、ミュシャの描くハートはチェコの国の木、スラヴ菩提樹のハート形の葉をあらわしています。
「明星」 にも
このポスターのデザインは与謝野晶子が活躍していた雑誌 「明星」 が第7号 (1900年)の挿絵にとりいれ、その後もたびたび使っています。与謝野鉄幹も『明星』のデザイナーもこのポスターのすぐれた効果をよく理解していたからでしょう。
ただし明星の挿絵はオリジナルのポスターとはデザインの重要なポイントに違いがあり、明星のデザイナーたちはポスターではなく「ラ・プリュム誌」のミュシャ特集号(1897年)を参考にしていたことがわかります。
"口もとを隠して、視線をモデルの目に集め、注意を商品に導く"ポスターデザイン。
資生堂アートディレクターとして広告デザインに一時代を築いた中村誠(1926-2013)さんはミュシャがお好きだっただけでなく、ミュシャのデインを深く理解しておられミュシャ展会場にたびたびおいでくださいました。
『サロン・デ・サンのミュシャ展』デッサン
(ラ・プリュム誌より)
「与謝野晶子とミュシャ」展ポスター
(2006年)
アルフォンス・ミュシャ館
与謝野晶子文芸館
ミュシャの故郷をあらわす"ヒナギク"の花はプラハやニューヨークのスラヴ叙事詩展展覧会カタログ、ポスターでもチェコを象徴する少女の頭を飾っている。
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サロン・デ・サンがあった現在のパリ ボナパルト街 31番地
ボディニエール画廊スタンラン個展 1894年
T.A.スタンラン(1859-1923)
1897年2月にミュシャがはじめての個展を開いたボディニエール画廊も第一線の画家たちが展覧会を開くなど当時のパリではよく知られた画廊だった。
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「明星」第7号の挿絵 (1900年)
"一筆啓上"は鉄幹が執筆するコラム
『資生堂ネイルアート・資生堂フレッシュアイズ』 1973年 (左)
『資生堂 練香水 舞』 1984年 (右)
アート・ディレクター 中村誠 写真 横須賀功光
頭にヒナギクを飾り 三つの輪のあるハートとスラヴ菩提樹を持つ少女
ブルックリン美術館のミュシャ展 カタログ表紙より 1921年 (部分)
ハートの形をしているスラヴ菩提樹の葉。スラヴ菩提樹はチェコの国の木に指定されている。
サロン・デ・サンのミュシャ展
リトグラフ 1897年