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ズデンカ・チェルニー
リトグラフ  1913年

ポスター

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 ミュシャは1906年の秋、シカゴとニューヨークの美術学校で講義をするために新婚の妻とともにアメリカに渡りました。
 シカゴでは作曲家で音楽院を創設したチェコ系アメリカ人チェルニーの家に滞在しました。チェルニーの3人の娘はそれぞれ音楽的才能に恵まれ、ミュシャは楽器を持った彼女たちの肖像を何点も描いています。とくに次女のズデンカは10才頃からオーケストラと共演するなど演奏活動をしていて彼女が大きく成長したときにはポスターを作ることを約束していました。
幻のポスター
 1914-15年のシーズンにズデンカはヨーロッパに演奏旅行をすることになりミュシャはチェロを持った彼女の写真をもとにポスターを描いて約束をはたしました。左右110cmもある肖像の下に「ズデンカ・チェルニー 最も偉大なボヘミアのチェリスト」と書いた文字部分を貼りあわせると高さ190cmの大型ポスターになります。
 しかし1914年に第一次世界大戦が勃発してツアーは中止になってしまいました。そのためこのポスターが使われることはなく幻のポスターとなりましたが、ミュシャとチェルニー家の友情の証として残されました。
 ミュシャはチェロの前と背景にユリの輪を飾っています。ユリはズデンカの若さを表し、花の環は連帯のシンボル、ソコルを意味しています。現在残っているポスターにはズデンカ・チェルニーのサインのあるものがいくつかあります。ツアーもポスターも幻になりましたがミュシャへの彼女の気持ちがサインに込められています。
音楽のポスター
 この頃のミュシャはスラヴ叙事詩の制作を進めながら多数のポスターを手がけていて大変多忙でした。「ズデンカ・チェルニー」 のほか「モラヴィアの教師合唱団」 「プラハ春の歌と音楽の祭典」 など音楽関係のポスターを続けて制作しており、そのいずれもが無償でなされた仕事でした。

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