コクリコ
『ムーズ川のビール』 の女性はコクリコ (coquelicot ヒナゲシ) を頭に飾っています。コクリコはフランスの象徴で、ミュシャはさまざまな絵に 「コクリコ」 を登場させています。
コクリコはフランスで野原や麦畑によく見られるごくありふれた花です。国旗の赤はコクリコとされており(青はヤグルマギク、白はマーガレット)。『ムース川のビール』、『LUビスケットのラベル』 はフランスとフランスの農業をあらわし。『夏 連作四季』 ではコクリコの咲く季節、「夏」 を象徴しています。
コクリコはミュシャの故郷チェコでも野に咲く花で、ヒナギクとともにチェコの象徴とされ、『チェコ周遊旅行写真集』 表紙ではチェコの土地を象徴しています。
コクリコは 「雛罌粟(ヒナゲシ)」 のほかに 「虞美人草(グビジンソウ)」 ともいい、古代中国の英雄項羽と共に悲劇的な最後を迎えたと伝えられる女性
「虞美人(虞家出身の夫人)」 にちなんで名づけられ、夏目漱石の小説のタイトルにもなっています。
『夏 連作四季』
『チェコ周遊旅行写真集』 表紙
『LUビスケット ラベル』
『ジョブ』(1898年)
フランスの麦畑に咲くコクリコの花
フランスの国旗
コクリコ
豊かな泡立ちのビールジョッキを手にしている女性はビールの精です。頭にはビールの原料、オオムギ(大麦) とホップを飾っています。
オオムギとホップのほかにもコクリコ(ヒナゲシ)、マーガレット、ヤグルマギクの花を飾っています。これら三種の花はフランスの農村でごく普通に見られ、フランス国旗の三色(トリコロール) にたとえてフランスの国土と国民の象徴となっています。フランスを表す花を頭に飾っているのでポスターを見る人は「ムーズ川のビール」がフランス産ビールと理解します。
コクリコは、1912年5月にフランスに到着した与謝野晶子(1878-1942) がその感動を 「嗚呼 皐月 仏蘭西の野は 緋の色す 君も雛罌粟 われも雛罌粟 (ああさつき フランスの野はひの色す 君もコクリコ われもコクリコ)」 と詠んだ、雛罌粟 (ひなげし)です。
ケレス
麦を頭に飾る女性は、ローマ神話の豊穣の女神ケレス(ギリシア神話ではデメテル)を連想させます。ケレスは英語の 「穀物」 を意味する 「シリアル」 の語源ですが、スペイン、ポルトガルでは 「ビール」 の語源(スペイン語=Cerneza、ポルトガル語=Cerveja ) です。
ヒナゲシ(コクリコ、ポピー) は多くのミュシャ作品に登場します。「フランス」(『ムース川のビール』) を表すほか、「夏」 (『連作四季の夏』、『ポストカード 8月』、『ショコラマッソンのカレンダーの夏』 など)、「豊穣」 (『LUのポスター』、『主の祈り』 )、「芸術・美」 (『四芸術』、『アイユールの歌』 )、「チェコ」 (『チェコ周遊旅行』 表紙ほか) など、「ヒナゲシ」 が象徴するものはさまざまですが、それぞれミュシャ作品を読み解く大切なポイントです。
ムーズ川
ムーズ川は北東フランスからベルギー、オランダを流れて北海にそそぐ川で、オランダではマース川と呼んでいます。フランスでは農業地帯を、ベルギーでは工業地域、オランダでは酪農地を通って流れています。運河によってライン川、モーゼル川などとつながっているヨーロッパ有数の河川です。
ポスター下部の枠にはビール工場やムーズ川の精が描かれていますが、これはミュシャが描いたものではありません。
ミュシャを讃えて
ポスター作家のアドルフ・ヴィレット(Adolphe Léon Willette 1857-1926)は、『ミュシャを讃えて』 (1899年) という作品を 『ポスターの巨匠たち Maitres de l'Affiche (ポスター名作集)』 のために発表しました。ヴィレットの 『ミュシャを讃えて』 では、マリア像に祈りをささげるようにミュシャの 『ムーズ川のビール』 の前でひざまずく少女を描いています。ヴィレットは同じポスター作家として
『ムーズ川のビール』 を尊敬するミュシャの代表作と考えていたのでしょう。
『ケレスのダイアモンドティアラ』 (19世紀前半)
Albion Art Jewellery Institute
アルビオンアート・ジュエリー・インスティテュート蔵
ミュシャ・コラム
「寄せ集めのミュシャポスター」