ジャンヌ・ダルクに扮する モード・アダムス    1909年 油彩

『ジャンヌ・ダルクに扮するモード・アダムス』
メトロポリタン美術館(ニューヨーク) 蔵

『ジャンヌ・ダルク』のポーズをとるモデルの写真(上)
下はモード・アダムス自身の写真

火刑から500年を記念する『ヤン・フス』像
(シャロウン作) 1915年

ジャンヌ・ダルク(1412頃-1431)生誕600年を記念して2012年にフランスが発行した切手

ミュシャが15才の頃に描いた
『火刑台のジャンヌ・ダルク』(1875年)

『ジャンヌ・ダルク』
下絵 水彩

ポスター

1枚だけのポスター
 ポスターは大量に配布するために印刷や版画で制作します。 しかし例外的に 1点しか制作されなかったポスターが存在します。『オルレアンの乙女(ジャンヌ・ダルク)』の公演に際してミュシャが女優モード・アダムス(Maude Adams 1872‐1953)のために描いた肖像画は公演会場のハーヴァード大学でポスターとして掲示され、油彩で制作した1点だけのポスターになりました。(後にリトグラフも制作したが、公演時のポスターは油彩の1点のみ)
ジャンヌ・ダルク
 1909年4月18日、パリのノートルダム大聖堂でローマ教皇ピウス10世によってジャンヌ・ダルク(1412‐1431)がカトリック教会の福者に列せられました。
(「列福」は聖人となるステップで、最終的にジャンヌ・ダルクは1920年5月16日に聖人に列せられます)
 列福を記念して1909年 6月22日、ハーヴァード大学はシラーの戯曲『オルレアンの乙女』を上演。 女優のモード・アダムスがジャンヌを演じ、舞台美術と衣装はミュシャがデザインしました。『オルレアンの乙女』は、1801年にそれまで「魔女」や「妄女」とされていたジャンヌを、詩人のフリードリッヒ・フォン・シラー
(1759-1805)が「神に選ばれた気高い少女」として描きジャンヌ・ダルク復権のきっかけのひとつになった戯曲です。
復権
 ハーヴァード大学での公演の後、モード・アダムスが主に出演していたニューヨークのエンパイア劇場ロビーにこの絵を飾ることになり、ミュシャは額縁を制作しました。『ジャンヌ・ダルク』にはフランスを表わすユリを装飾に描いてアメリカとフランスの交流を示しています。しかし額縁は故郷チェコの象徴で装飾しました。
 ミュシャにとってジャンヌ・ダルクは、同じ頃の1415年にやはりカトリックの審問で異端とされ火刑に処せられたヤン・フス
(1369頃-1415)と重なります。
 ジャンヌ・ダルクに描かれているフランスのユリを囲む殉教のシンボル、キリストの「イバラの冠」は没後500年を迎えるヤン・フスの復権を願う希望の「太陽」でもあったのです。
 ミュシャの『ジャンヌ・ダルクに扮するモード・アダムス』は、1920年のジャンヌ・ダルク列聖に合わせてニューヨークのメトロポリタン美術館に寄贈されました。
 カトリック教会は2000年に「フス派を弾圧したことは間違いだった」とチェコ国民に対して謝罪しましたが、ヤン・フスを異端とする裁定は今も解かれていません。

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『ジャンヌ・ダルク』(上)と『レスリー・カーター』(下)の「イバラの冠」