トスカ           1899年 リトグラフ

 ルフェーヴル・ユティル・ビスケットの"イタリア"をテーマにしたパッケージでミュシャは「ローマ」に「トスカ」終幕の悲劇の舞台となった円形のサンタンジェロ城を描いた。
 サンタンジェロ城は2世紀のローマ皇帝霊廟がその後教皇領の牢獄、要塞と用途が変遷し、現在は博物館になっている。"サンタンジェロ(聖天使)"という名称は、6世紀末のローマにペストが蔓延したとき城の上に大天使ミカエルが現われてペスト流行の終焉を知らせたという伝説による。
 サンタンジェロ城を描いた「ローマ」(部分 上左)と、パッケージ・ラベルの全体(上右)。上から「ナポリ」、「ヴェネチア」、「ローマ」。
 「ナポリ」の絵が上下さかさまになっているのは箱に巻きつけてパッケージラベルとして使用するため。人気があったので鑑賞のためのラベルをつくって販売した。販売用ラベルでは「ナポリ」の絵は逆になっていない。)

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トスカに扮するサラ
ナダールによる同じシーンの写真

ルフェーヴル・ビスケットの
パッケージ・ラベル
 1900年頃
下は販売用

オペラ 「トスカ」 のポスター

 プッチーニのオペラ「トスカ」にも優れたポスターがある。
 左はメトリコヴィッツ
(Leopoldo Metlicovitz 1868-1944)のポスター。 ミュシャと同じ場面のトスカを描いている。
 右側は恋人カバラドッシを救うためにトスカが警視総監のスカルピアを殺害するクライマックスの場面を描いた
ホーエンシュタイン(Adolf Hohenstein 1854-1924 )のドラマチックなポスター。
 どちらもオペラ上演を企画しプッチーニに「トスカ」の作曲を依頼したリコルディ社の社主ジュリオ・リコルディ(Giulio Ricordi 1840-1912)が1899年のオペラ初演のために製作したポスター。

トスカ 1899年
L.メトリコヴィツ

トスカ 1899年
A.ホーエンシュタイ

椿姫
ロレンザッチオ
メディア
サマリアの女
トスカ
ハムレット
カサンフィス印刷所
サロン・デ・サン第20回展
ランスの香水ロド
ジョブ
サラ・ベルナール
サロン・デ・サンでのミュシャ展
モナコ・モンテカルロ
ムース川のビール
トラピスティーヌ酒
ウェイヴァリー自転車
遠国の姫君
ズデンカ・チェルニー
ブルックリン美術館のミュシャ展

20才頃のサラ・ベルナール
写真家のメナダールが1864年に撮影

1900年(明治33年)白馬会展会場
ミュシャのポスターも展示していた
右上にトスカのポスターが見える。
クリックすると拡大して見られます。

トスカのデッサン

アメリカ公演のポスター
1910年

ミュシャ・コラム
「寄せ集めのミュシャポスター

シガリロ・パリ Los Cigarillos Paris

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ポスター

歌に生き 恋に生き
 トスカ」は「歌に生き 愛に生き」、「星はきらめき」のアリアで大ヒットしたプッチーニ(Giacomo Puccini 1858-1924)のオペラが有名ですが、オリジナルは1887年にビクトリアン・サルドゥ( Victorien Sardou 1830-1908)がサラ・ベルナール(Sarah Bernhardt 1844-1923)のために書き下ろした悲劇です。
 オペラは、サラが何度も演じて好評だった芝居をもとにプッチーニが3年をかけて作曲し1900年に発表されました。
サラ・ベルナール劇場
 1898年、サラ・ベルナールはそれまで持っていたルネサンス劇場を財政難のため手放します。翌1899年にオペラ・コミック劇場を借りて"サラ・ベルナール劇場"と呼び名を改め「トスカ」の再演で幕を開けました。ミュシャのポスターはそのときのものです。
 「トスカ」は上演回数 300回という記録的な成功を収め、ルネサンス劇場にくらべて客席数が2倍になった新しい劇場はサラ・ベルナールに莫大な収益をもたらしました。
ナダール写真館
 ポスターに描かれているのは第一幕。サラ・ベルナールは物語の舞台となった1800年頃の衣装を身につけています。同じ場面、同じ衣装、同じポーズで写真家のナダール
(Nadar 1820-1910 本名はGaspard-Felix Tournachon)もサラ・ベルナールを撮影しています。
 ナダールはいわば世界初のプロ写真家です。サラがコメディ・フランセーズに入ったばかりのまだ20才頃から彼女に注目して肖像写真も撮影しています。
 ナダールの名は1874年に「第1回印象派展」が彼の写真館で開かれたことでもよく知られています。