起死回生
この美しい絵は地中海のバカンスに誘うPLM(パリ・リヨン・地中海鉄道)の観光ポスターです。右下の文字に 「パリからモンテ=カルロまでデラックス列車16時間(現在は6時間)の旅」 とあります。
モナコ公国は主権を保つため1860年(万延元年 ミュシャが生まれた年)に国土の95%をフランスへ割譲して、わずか2平方キロメートル(皇居とほぼ同じ面積)の資源も平地もほとんどない弱小国になりました。
当時のモナコ大公シャルル3世(1818-1889)は地中海に面した北東側の山がちの地域を再開発して、国営カジノ(賭博施設)とホテルの超高級リゾート地へ起死回生の転換をはかりました。1863年(文久3年)に海水浴公社を設立、1866年カジノとともに、パリ・オペラ座の建築家シャルル・ガルニエによる豪華な歌劇場を開場、1867年(慶応3年)にはモンテ=カルロ駅が開業してパリ、リヨンと直通の鉄道で結びました。長く伸びる枝と花環はアール・ヌーヴォーの曲線的な植物の装飾と同時に、地中海のリゾートへ導く鉄道のレールと車輪を連想させます。
シャルルの山
地区名の 「モンテ=カルロ」 はイタリア語で 「シャルルの山」 という意味です。財政基盤を築き 所得税、住民税などの直接税を廃止したシャルル3世に感謝してモナコ国民が名づけました。(再開発には、チェコの有名な保養地カルロヴィ・ヴァリを参考にしました。「カルロ・ヴィヴァり」 とは 「カレルの温泉」 という意味で、ボヘミア王カレル(神聖ローマ帝国皇帝カール4世 1316-1378)にちなんでいます。チェコ語名 「カレル」 はフランス語の 「シャルル」 にあたり、英語では 「チャールズ」、ドイツ語では 「カール」、イタリア語 スペイン語の 「カルロ」、「カルロス」 となる、「シャルルマーニュ(カール大帝 742-814)」 を、直接あるいは間接に、尊敬してつけた名前です。)
女性
ミュシャは、単に美しく飾るためだけに 「花」 と 「女性」 を描く凡庸な画家ではありません。『モナコ=モンテカルロ』 でも 「女性」 は 「復活」 を象徴し、メッセージを 「花」 が伝えます。
女性を囲む花の環は、この女性が神聖な存在であることを示しています。女性の衣装は 『クリスマスと復活祭を告げる鐘』 の表紙や挿絵に描かれている女性と同じものです。この衣装はミュシャの絵では
「復活」、「希望」 をあらわし、「復活」、「再生」 をテーマに 『モナコ・モンテカルロ』 のポスターをデザインしているとわかります。
口元にあてる手は、「再生」 や 「希望」、「憧れ」 などをしめすミュシャのポーズの一つですが、ここでは 「ハァーッ」 と手を温める 「息」
を連想させ、「女性」 が 「再生」、「復活」 の象徴であり、春をもたらす 「風の精」 であることを知らせます。
日本語でも 「息 いき」 や 「気」 という言葉が 「命」 を意味することがあるように、欧米古典語のギリシア語、ラテン語、ヘブライ語などの 「息」 を表す言葉は、いずれも同時に
「魂 たましい」、「生命」、「風」 の意味があり、キリスト教では 「風」 は 「神の霊(聖霊)」 を暗示するとされています。
春先になるとフランス南部地中海沿岸には 「シロッコ」 や 「マラン」 とよぶ暖かく湿った風がアフリカから海を越えて吹き、この風が春を運んでくるといいます。ミュシャは冬から春への 「復活」、「再生」 を 「息」 であらわしました。ポーズが連想させる 「息」 は、ポスターを見る人に 「暖かい風」、「春」、「復活 (recreation)」 をイメージさせるのです。
花
ポスターを飾る花は手前から、「シクラメン」、「ダイアンサス(ナデシコ科)」、「ライラック(リラ)」、それに髪飾りの 「ザクロ」 です。
シクラメン
花環が車輪を思わせる 「シクラメン」 は、花や葉の茎が丸まって発生し鉢をめぐるように茂るため、ギリシア語で 「回転」 を意味する 「キクロス」(英語のサイクルの語源)から名づけられました。
ダイアンサス
「ダイアンサス」 は、「神聖な」 という意味のギリシア語 「ダイナス」 と、「花」 を表す 「アントス」 を組み合わせた名前で、「ジュピターの花」
とも呼びます。
ライラック
「ライラック」 はフランスでは 「リラ」 といい、春を告げる花とされています。香り高い 「リラ」 の花が咲くころは一年で最も気候のよい季節です。「ライラック」
の花環は、まるで仏像の光背のように女性を囲み、「ダイアンサス」 とともにこの女性が神聖な存在であることを示しています。
また 「リラの精」 は、チャイコフスキーのバレエ 『眠れる森の美女』 でも、オーロラ姫にかけられた 「16才で死ぬ」 という魔女の呪いを100年の眠りに変えて救い、王子を導いて姫を眠りから覚ます
「復活」 の象徴です。
ザクロ
髪を飾る 「ザクロ」 の花も、春を回復するギリシア神話のペルセポネーから 「春をもたらす生命の樹」 といわれ、「復活」、「再生」 や 「多産」
の象徴です。
上へ、下へ、ぐるぐると
祈るように空を見上げるポーズは見る人の視線を上方へ導きます。見上げる目だけでなく、口元の手もまるで矢印(↑)のように目線を誘導してタイトルで地名の「MONACO MONTE-CARLO」 を記憶させるのです。これは、『ジスモンダ』 にはじまり 『サロン・デ・サンでのミュシャ作品展』、『モラヴィア教師合唱団』
など、多くのポスターで使われているミュシャのデザイン・テクニックのひとつです。
ポスターは広告メディアです。美術館で観賞するためではなく街角で通りすがりの人の目をひきつける力がなければなりません。「ポスターの父」 シェレは 「シェレの美女」 で目を引き、「近代ポスターの父」 と呼ばれるカッピエルロは 「驚き」 で商品のイメージを目と心に焼きつけました。
ミュシャ・ポスターは美しい女性で注意をひきつけ、さらにポーズやしぐさ、髪、衣装などで見る人の目を上あるいは下へ導いてポスターの文字情報を記憶させます。ミュシャ・ポスターの多くは絵と文字部分がわかれた、どちらかというと古典的なスタイルですが、デザインによってたくみに目を誘導するミュシャのテクニックがポスターを印象的で魅力的にし、今も私たちを魅了し続けるのです。
サン・シャルル教会献堂125年
シャルル3世(1818-1889)肖像
左右ともモナコの切手
ミュシャ・コラム
「寄せ集めのミュシャポスター」
左 『ウミロフの鏡』(1904)部分
右 『遠国の姫君 LUのポスター』(1904)部分
左 『冬 連作四季』(1896)部分
右 『黄昏』(1899)部分
『クリスマスと復活祭を告げる鐘』扉(左)とデッサンの写真
ミュシャのアトリエへの 『招待カード』 1897年