ブルックリン美術館のミュシャ展 カタログ
表紙(左 )と裏表紙(右)
1904年から第一次大戦期を挟み1920年代半ばまで、ミュシャはヨーロッパとアメリカを頻繁に行き来していた。40代から60代にかけての充実した時期で、「傑作の森」といえるほど名作を次々と制作している。ブルックリン美術館展ではその時期の作品を多数出品した。
アール・ヌーヴォー期と『スラヴ叙事詩』のはざまにあって、「アメリカ時代」 は必ずしも適正に位置づけされているとはいえない。「アメリカ時代」
が正しく評価、位置づけされるには、 『スラヴ叙事詩』 同様、時間を要するが、その時は間違いなく来るだろう。
左 『喜劇』 右 『悲劇』 中央 『ハーモニー』 いずれも1908年
ミュシャ・コラム
「寄せ集めのミュシャポスター」
みんなの
ニューヨークのブルックリン美術館で1921年1月19日から2月末まで開催したミュシャ展のポスターです。「芸術はみんなのもの」 というミュシャ自身の考えによって無料で開催されました。展覧会のために制作した作品のほか、5点の
『スラヴ叙事詩』 をプラハから輸送して展示しました。展覧会は大評判になり60万人もの観客が詰めかけました。
スラヴィア
ポスターの少女はスラヴィア(スラヴの理想をあらわす女性像)です。右手にはソコルの輪 (スラヴ民族連帯のシンボルマーク)を持っています。ソコルの輪に「とげ」があるのは太陽をあらわし、太陽は希望を象徴しますが、同時にキリストの 「茨の冠」 をイメージさせて人々の注意を誘う役割をしています。(とげの輪は 『第6回ソコル大会のポスター』や『サロン・デ・サンのミュシャ展』 などにも描かれています。)
髪
長い髪はスヴァントヴィト (スラヴ古代の神。太陽をシンボルとする平和の神)が連れている金色の巻き髪の少女をあらわすとともに、見る人の目をポスターの文字へと誘導します。これは、『サロン・デ・サンでのミュシャ展ポスター』 の少女の髪と同じ役割です。
一般にスラヴィアは、スラヴ菩提樹の葉を頭に飾った少女の姿で描かれますが、この少女は、ミュシャの故郷モラヴィアをあらわすヒナ菊を飾って、チェコ芸術の展覧会であることも伝えます。
アメリカ時代
1904年から1920年代にかけて、ミュシャはアメリカとヨーロッパを行き来し1909年まではアメリカを拠点に活動していました。ミュシャの 「アメリカ時代」
と呼ぶこの時期はミュシャ芸術の転換期といえます。『ウミロフ・ミラー』、『クオ・ヴァディス』、『ハーモニー』 などの重要な作品がこの時期に制作されました。
しかし20世紀になるとアール・ヌーヴォーは廃れ、美術の潮流は抽象画へと移ったため、ミュシャの名は急速に忘れられてしまいます。
再び本格的なミュシャ展がアメリカで開かれるには1998年まで待たなければなりませんでした。