マクデブルクはドイツ東部、現ザクセン・アルンハルト州の州都。エルベ川沿いにあり、河川流通で栄えた豊かなハンザ同盟都市でした。エルベ川から東はスラヴ人が住む地域で、古くからスラヴとの交易、スラヴのキリスト教化の拠点でもありました。
1630年11月に始まり翌年5月20日まで続いた神聖ローマ帝国軍(カトリック)によるマクデブルク攻囲と、陥落後の壊滅的な略奪をあわせて「マクデブルクの惨劇」と呼んでいます。
惨劇は30年戦争(1618年-1648年)の中で起こりました。プロテスタント(ルター派)の都市マクデブルクは神聖ローマ帝国軍(カトリック)の攻撃を受けて徹底的に破壊され、3万人の人口が5千人(ほとんどが女性)になり、生き残った女性たちも傭兵中心の神聖ローマ帝国兵にレイプされ、30年戦争終了時には450人になっていたといわれます。
あまりの酷さから北ドイツプロテスタント諸侯とスウェーデンのグスタフ・アドルフ2世(1594-1632)が連合する契機になるなど、30年戦争全体の動向にも影響を与えました。
なお、戦いの後の復興に努めた市長ゲーリケ(Otto von Guercke1602-1686)は物理学者でもあり、真空ポンプを発明して真空の特性を明らかにする実験「マクデブルクの半球」をしたことでよく知られています。