切手と紙幣

短命切手
  『プラハ城切手』は偽造切手が大量に出回わったため短い通用期間でしたが、1920年に発行した2作目の『フス教徒切手』も短命に終わりました。カトリックが異端としていたフス教徒
(チェコスロヴァキア教会)を切手にしたことにカトリック教会からクレームがついたためです。
聖杯と煙
 フス派教義の特徴はパンとワインによる聖餐です
。現在はほぼすべてのキリスト教会でパンとワイン両方の聖餐が行われていますが、15世紀のカトリック教会では「神に救われるのは聖職者のみ」として、信徒にはワインは許されずパンのみの聖餐でした。切手でもフス教徒がフス派の象徴の聖杯を持っています。
 切手のフス教徒のポーズは、プラハ城聖ヴィート大聖堂ステンドグラスの聖ツィリル像を思わせます。というより、数年後に完成したステンドグラスを見た人たちは、カトリック教会の横槍で廃棄せざるを得なかったこの 『フス教徒切手』 を思い出したかもしれません。また「聖杯」は、チェコの人たちにスヴァントヴィト
(希望を象徴するスラヴ神話の神)が持つ角のさかずきを連想させます。
 切手には「聖杯」とともに、立ちのぼる香炉の煙が描かれています。ミュシャの
の表現は『教父ヤン・フス』 の挿絵、『クオ・ヴァディス』、『スラヴ叙事詩展ポスター』などにも見られます。礼拝での香煙やフス焚刑の煙を表わしますが、二つに分かれて立ちのぼる煙が描かれている対象に注意をうながす効果を持っています。
ヤン・フス
 切手発行5年前の1915年、フス
(Jan Hus 1369頃-1415)の火刑から500年目にフスの銅像がプラハ旧市街広場に建てられました。当時は19世紀後半からの汎スラヴ運動とともにフス派教会運動が高まった時でした。1920年に、カトリックからの離脱を目指すフス派チェコスロヴァキア教会が成立したこともあり、『フス教徒切手』の発行は教会分裂の危機感をカトリック教会に与えたのでしょう。(15世紀初頭のフスの時代は教皇が3人もいた教会分裂「大シスマ」の時代でした。さらにフスの100年後に起こったルターの宗教改革は「教会分裂」でした。)
 ヤン・フスは、歴史を通じてチェコの人たちから尊敬されています。 フスは宗教改革者にとどまらずフスが工夫したチェコ語表記法はチェコ文学の隆盛につながり、また フス派運動を通じて、さまざまなチェコ独自の文化を生み出す元となりました。今日その影響は宗教、教育、技術、社会の体制や制度など日本をふくむ世界中におよんでいます。
ジャンヌ・ダルク
 『フス教徒切手』発行の背景には、フランスのジャンヌ・ダルク
(Jeanne d'Arc 1412頃-1431)がかかわっています。
 ヤン・フスと同じ頃に異端とされ火刑に処せられたジャンヌ・ダルクは、『フス教徒切手』発行の年、1920年5月16日にカトリック教会によって聖人に列せられました。
 チェコの人たちにとってフランス救国の英雄ジャンヌ・ダルクはヤン・フスと重なります。同時代に同じくカトリックの異端審問で焚刑になったジャンヌ・ダルクが復権して聖人に列せられるなら、ヤン・フスこそ復権されるべきだとチェコの人たちは思ったのです。
 「ヤン・フスを異端として処刑したことは間違いだった」とカトリック教会はようやく2000年になってチェコ国民に謝罪しますが、切手を発行した1920年当時ヤン・フスとフス派の信仰は600年を経てもまだまだ異端とされていたのです。
(カトリック教会は謝罪はしましたが、フスの異端は今もなお解かれていません。)

『フス教徒切手』  1920年

ミュシャがデザインした切手 B フス教徒切手

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ジャンヌ・ダルク生誕600年
フランス発行の記念切手(2012)

『教父ヤン・フス』 から
1903年

『クオ・ヴァディス』 (部分) 1904年

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聖杯をかかげて進むフス教徒
「ヴルタヴァの野外劇」のスケッチから(部分)
1926年

『プラハ・ヴィタ大聖堂ステンドグラス』の
聖ツィリルと聖メトジェイ像  1931年

『スラヴ叙事詩展』ポスター
 1928年

プラハ旧市街広場に立つヤン・フス像
シャロウン作 1915年