ミュシャ作品をデザインした切手 ① チェコスロヴァキア国章
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ミュシャ作品?
17世紀以来チェコはハプスブルク・オーストリアの支配下にありましたが、第1次世界大戦でオーストリアが敗れてハプスブルク家も崩壊し、1918年10月28日にチェコスロヴァキア共和国が誕生しました。
新しい祖国の誕生に立ち会うことができたミュシャは通貨紙幣、郵便切手、警察や公務員の制服などとともにチェコスロヴァキア共和国の国章をほぼ無償でデザインしました。
ボヘミア(二股の尾の銀色のライオン)を中心に、スロヴァキア(十字架とタトラ山)、ルテニア(クマ)、モラヴィア(赤と銀のチェックのワシ 左)、シュレジエン(胸に飾りをもつ黒ワシ 右)の紋章を組み合わせてデザインし1918年から1961年まで通用していました。
切手左右の装飾、ハート形の葉はチェコスロヴァキアの国の木「スラヴ菩提樹」です。ルテニア(ウクライナの一部)とスロヴァキアが分離したため現在のチェコ共和国の国章からは両地域の紋章がなくなりましたが、基本はミュシャがデザインしたものです。
『チェコスロヴァキア国章切手』 は1929年から1937年の間に6種類の額面金額の切手を発行しました。
日本は国章を持たない数少ない国なので「国章」にあまりなじみがありませんが、たいていの国は「国章」、「国旗」、「国歌」を定めています。日本以外に法律で国章を制定していない国には、アメリカ、フランス、トルコなどがあります。ただ日本の「十六弁八重(一重)菊」紋や「五七桐」紋のように慣例的に使っているエンブレムのようなものはアメリカ(ハクトウワシ)にもフランス(マリアンヌ)、トルコ(三日月と星)にもあります。
現在のチェコ共和国議会に今も残る独立当時のチェコスロヴァキア共和国(第一次)国章
現在のチェコ共和国 国章
(1993年スロヴァキア分離後
左はイヴァンチッツェ市役所入口にかかげられているチェコ共和国の国章
スロヴァキア共和国 国章切手 (左)
ルテニア (カルパティア・ルテニア)の国章 (右)
「スロヴァキア共和国」は、1993年1月1日に「ビロード離婚」によって分離独立。
「ルテニア」は、1939年3月14日に「カルパト・ウクライナ共和国」として独立したが、3月16日にハンガリーに併合され、わずか3日で消滅した。現在はウクライナ共和国に含まれている。
左から
ワシ ・・・・ シュレジエン
十字架 ・・ ・スロヴァキア
ライオン ・・・ボヘミア(チェコ)
ワシ ・・・・・モラヴィア
クマ ・・・・・ルテニア
ホップ(ビール)とブドウ(ワイン)、小麦やキノコ、花などがチェコスロヴァキアをあらわしている。ルテニアの国章は描いていない。
『1918-1928
チェコスロヴァキア独立10周年』
(1928年)
『1918-1928 チェコスロヴァキア独立10周年』
(1928年)
ヨゼフ・ラダ (Josef Lada 1887–1957)