プラハの春
「プラハの春」 とは1968年当時のチェコスロヴァキア改革政策をいいます。
「人間の顔をした社会主義」を目指す改革でしたが、改革を否定するソ連共産党主導のワルシャワ機構軍が武力侵攻して圧殺され壊滅。「正常化」という共産党支配の抑圧が1989年のビロード革命による自由化まで21年間続きました。
10月28日の独立50年を祝えない中でチェコスロヴァキアはミュシャの美しい切手を発行しました。
ヒヤシンス姫
『ヒヤシンス姫』は、画家のミュシャはもちろん、作者のノヴァーク、作曲家ネドバル、女優のセドラチコヴァー、すべて国民的な芸術家です。初演はプラハの国民劇場で1911年に行われています。「プラハの春」の改革はソ連の武力でつぶされましたが、人々はチェコスロヴァキアの誇りを『ヒヤシンス姫』の小さな切手に象徴させたのです。
改革挫折からほぼ1年の1969年7月14日、ミュシャの命日に没後30年を記念して『四つの宝石』と『四芸術』の切手が発行されました。初日カバー(FDC)のスタンプには、「Mucha」の文字とともにチェコスロヴァキアの国の木で「希望」の象徴のスラヴ菩提樹を飾っています。
ミュシャ作品を使った切手 A
切手『ダンス』(1969年) 装飾パネル『四芸術』から(右)とデッサン(中)
スラヴ叙事詩『原故郷のスラヴ人』
モラフスキー・クルムロフで展示中の様子
『ブルネット』切手の初日カバー
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ビロード革命
チェコスロヴァキアは、「ビロード革命」と呼ばれる無血革命のしなやかな政権交代を経て、1989年にようやく自由を回復しました。ミュシャが亡くなってから50年後のことです。
1年後、混乱が収まり始めたチェコスロヴァキアは、『スラヴ叙事詩』連作第1 『原故郷のスラヴ人』 の切手を発行しました。
1993年にはスロヴァキアと分かれるなど、自由化の道は平坦ではありませんでしたが、ミュシャが願っていた「未来の希望」に向かって着実に歩み続けています。
2000年の『ブルネット』をはじめ、21世紀になってからのミュシャ切手にはアール・ヌーヴォー期の美しい絵柄、しかしやはり象徴的な意味合いの強い作品が多く取り上げられています。
四芸術シリーズ切手の初日カバー
『スラヴ叙事詩』切手の初日カバー
切手『音楽』 (1969年) 装飾パネル『四芸術』から(右)とデッサン(中)
切手『ヒヤシンス姫』(1968年)とポスター(右)
切手『絵画』(1969年) 装飾パネル『四芸術』から(右)とデッサン(中)
四芸術シリーズ切手の 初日カバー