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プラハ城切手の復刻

30周年 (1948) 記念ハガキ
 1948年2月にチェコスロヴァキアは
共産党一党独裁体制になりソ連の支配下にはいった。

切手と紙幣

わずか1年半
 「プラハ城切手」は、ミュシャがデザインした新生チェコスロヴァキア初の郵便切手です。 額面金額やデザインの細部が異なるもの20数種が発行されましたが、偽切手が出回るようになったため、通用していたのは1918年から1920年にかけてわずか1年半ほどの短い期間でした。
わずか20年
 1620年にプラハ近郊にあるビーラー・ホラー
(白い山) の戦いで敗れたチェコは300年にわたってハプスブルク家の支配下におかれていましたが第1次大戦終了時に独立します。 祖国の独立に立ち会うことができたミュシャは新生チェコスロヴァキア共和国の国章や通貨紙幣、郵便切手をほとんど無償でデザインしました。
 しかし、ナチス・ドイツが侵攻してチェコスロヴァキア共和国は独立後わずか20年の1939年に解体されてしまいます。 まだミュシャが存命中のことでした。
 第2次大戦が終わってドイツの占領からは開放されたものの、1948年にはソ連が支配する社会主義体制に組み入れられ、共産党の一党支配が1989年11月のビロード革命まで続きます。 人々は幸せだった20年間をミュシャの 「プラハ城切手」 に象徴させ、未来に希望をつないで苦難の時代を耐えました。
わずか8ヶ月
 1948年の 「チェコスロヴァキア郵便切手の日
(プラハ城切手を発行した12月18日) 」 に ミュシャの「プラハ城切手」 の復刻が発行されました。1948年は、独立30周年であるとともに2月に社会主義化した年です。
 独立40周年の1958年の記念切手は 「プラハ城切手」 を見上げて月桂樹とスラヴ菩提樹を捧げるスラヴィアです。 この切手をデザインした版画家
マクシミリアン(マックス)・シュヴァビンスキー (Maximilian Svabinský 1873-1962) は、「プラハ城切手」 を栄光と復活の象徴で飾っています。(シュヴァビンスキーは1939年のミュシャの葬儀で弔辞を読みました)
 1968年は独立50周年ですが、8月に 「プラハの春」 の改革がソヴィエトなどワルシャワ機構軍が侵攻しわずか8ヶ月で圧殺された年です。 チェコスロヴァキアは11月にミュシャの切手
(ヒヤシンス姫) を、さらに郵便切手の日には独立50周年をアピールするかのように 「プラハ城切手」 を復刻した記念切手を発行しています。
50年を経て
 1978年と1988年の記念切手は 「ミュシャ肖像切手」 のところで紹介していますが、どちらも 「プラハ城切手」 の復刻でもあるデザインです。
10年ごとに
 「プラハ城切手」 は10年ごとに復刻され、ミュシャの没後50年を経て1989年11月にチェコスロヴァキアが自由を回復するまで続きました。 「プラハ城切手」 復刻を通して、チェコスロヴァキア国民がどのように歴史と向きあおうとしているかがうかがわれると同時にミュシャという芸術家をどのように見ているかを知ることができます。

40周年切手のFDC(初日カバー)   左側のカットの花はスラヴ菩提樹、月桂樹、トケイソウ。

1958年の 「郵便切手の日」 記念切手(部分)
 頭にスラヴ菩提樹を飾るスラヴィア (チェコを象徴する女性) が、トケイソウとバラを飾った 「プラハ城切手」 に月桂樹とスラヴ菩提樹を捧げている。
 トケイソウと月桂樹は不滅を、バラは栄光を表し、チェコの国の木スラヴ菩提樹はチェコスロヴァキアを象徴する。
 1958年は、チェコスロヴァキアが1948年にソ連主導の共産党支配体制に組み込まれて始まった苦難の40年の10年目。

60周年 (左 1978) と70周年 (右1988)
どちらもミュシャ肖像切手であるとともに「プラハ城切手」の復刻でもある

50周年 (1968)
「プラハの春」 改革が進行中の6月に発行した切手 (左) と
自由化が挫折した後の12月に発行した切手 (上)
初日カバーは ミュシャの 「プラハ城切手」デッサンとサインをデザインしている

40周年 (1958)
スラヴィアが 「プラハ城切手」 を見上げる
(デザインは M. シュヴァビンスキー)

30周年 (1948) に復刻した 「プラハ城
切手」 (上は復刻部分の拡大)

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