切手と紙幣

わずか1年半
 『プラハ城切手』は新生チェコスロヴァキア初の郵便切手で、ミュシャがデザインしました。額面金額やデザインの細部が異なる20数種を発行しましたが、戦後の混乱期で、偽切手が大量に出回るようになったため1918年から1920年にかけてわずか1年半ほどの短い期間の発行でした。
わずか20年
 1620年に、プラハ近郊にあるビーラー・ホラー
(白い山)の戦いでオーストリアに敗れたチェコは、以後300年にわたってハプスブルク家の支配下におかれましたが、第1次大戦終了直前の1918年10月28日に独立します。祖国の独立に立ち会う幸せに恵まれたミュシャは、新生チェコスロヴァキア共和国の国章や通貨紙幣、郵便切手をほとんど無償でデザインしました。現在もチェコ共和国では最初の切手を発行した12月18日を「郵便切手の日」として記念しています。
 しかし1938年9月にナチス・ドイツが侵攻し、ヒットラーによってチェコスロヴァキア共和国は独立わずか20年の1939年3月15日に解体され、ドイツの保護領とされます。まだミュシャが存命中のことでした。
 第2次大戦が終わってドイツ占領から解放されたものの、1948年にはソ連が支配する社会主義体制に組み入れられ、共産党一党支配の暗黒が1989年11月のビロード革命まで続きます。人々は幸せだった20年間をミュシャの『プラハ城切手』に象徴させて未来に希望をつなぎ、苦難の時代を耐えました。
わずか8ヶ月
 1948年、「チェコスロヴァキア郵便切手の日」の12月18日に
ミュシャの『プラハ城切手』の復刻が発行されました。1948年は独立30周年ですが、2月のクーデターでソヴィエト連邦支配の共産党独裁体制に組み込まれた年です。
 1958年発行の『独立40周年記念切手』には、ミュシャの『プラハ城切手』に「月桂樹」と「スラヴ菩提樹」を捧げるスラヴィアを描いています。記念切手をデザインした版画家
マクシミリアン(マックス)・シュヴァビンスキー(Maximilian Švabinský 1873-1962 シュヴァビンスキーは1939年のミュシャ葬儀で弔辞を読んだ)は、栄光を象徴する「バラ」と復活をあらわす「トケイソウ(欧米では受難と復活の象徴)」で『プラハ城切手』を飾りました。
 1968年は独立50年にあたりますが、1月にはじまった「人間の顔をした社会主義」をめざす「プラハの春」民主化改革が、8月にソ連主導のワルシャワ条約機構軍武力侵攻によってわずか8ヶ月で圧殺された年です。チェコスロヴァキアは11月にミュシャの切手
(『ヒヤシンス姫』)を、さらに郵便切手の日には独立50周年をアピールするかのように『プラハ城切手』を2枚並べて復刻した記念切手を発行しています。
50年を経て
 「正常化」という、ソ連支配のさらに厳しい共産党独裁体制に戻されて「暗黒時代」にあった1978年と1988年の記念切手は、「ミュシャ肖像切手」のところでも紹介しているように、ともに『プラハ城切手』の復刻でもあるデザインです。
10年ごとに
 『プラハ城切手』の復刻は共産党一党支配時代に10年ごとにくりかえされ、ミュシャ没後50年の1989年11月にチェコスロヴァキアがようやく主権と自由を回復するまで続きました。
 チェコの人々がどのように歴史と向きあってきたかを『プラハ城切手』の復刻を通して知ることができ、同時にミュシャという芸術家をチェコスロヴァキア国民がどのように見ているかが復刻から見えます。

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プラハ城切手の復刻

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 左は、独立30年(1948)記念切手シートを実際に使っている例。共産党の支配下だったことをスタンプが示している。クーデター直後には「解放」と見る人もいた社会主義だっが、監視・密告によって国民を支配する一党独裁体制へと急速に進んでいった。
 『プラハ城切手』は社会主義時代に「未来の希望」の象徴のメッセージとして10年ごとの節目に復刻された。1948年はその年の2月のクーデターによってチェコスロヴァキアが共産党一党独裁体制になった年。
 右は独立30年の記念はがき。

独立40年(1958)
スラヴィアが『プラハ城切手』を見上げる
(デザインはM. シュヴァビンスキー)
切手に描かれている花についてはこのページの下を参照。

独立40年切手のFDC(初日カバー)   左側のカットの花はスラヴ菩提樹、月桂樹、トケイソウ。

チェコ共和国は2020年にもミュシャの『プラハ城切手』の復刻切手を発行した。

 頭にスラヴ菩提樹を飾るスラヴィア(チェコを象徴する女性)が「プラハ城切手」に月桂樹とスラヴ菩提樹を捧げている。その『プラハ城切手』には「トケイソウ」と「バラ」が飾られている。
 「トケイソウ」は「受難・復活」、「月桂樹」は「不滅」、「バラ」は「栄光と希望」をあらわし、チェコの国の木「スラヴ菩提樹」はチェコスロヴァキアを象徴する。
 1958年は、1948年にチェコスロヴァキアがソ連主導の共産党支配体制に組み込まれて始まった「苦難の40年」の10年目で。ソ連による支配がチェコスロヴァキア国民の上に重くのしかかっていた。
 『プラハ城切手』に込められたミュシャのメッセージがチェコの人たちにあらためて伝わった「復刻」といえるだろう。

1958年発行の「郵便切手の日」記念切手の一部分を拡大

独立30年(1948)にはじめて復刻した
『プラハ城切手』(上は復刻部分の拡大)

独立50年(1968)
「プラハの春」改革が挫折した後の12月に発行した

独立60年(上 1978)と独立70年(下1988)
どちらも「ミュシャ肖像切手」で、同時に『プラハ城切手』の復刻

独立50年(1968)
 「プラハの春」改革が進行中の6月に発行した切手(左)と改革が挫折した後の12月に発行した切手(上)
 初日カバーはミュシャの「プラハ城切手」デッサンとサインをデザインしている

 『プラハ城切手』の復刻は、1989年のビロード革命による自由化のあとしばらく途絶えていたが、独立100年の2018年にふたたび発行した。
 同時に「郵便切手100年」を記念してミュシャの「新聞用切手」のデザインを併せて復刻発行した。
 また、チェコスロヴァキア独立100年を祝って太平洋のミクロネシアにあるマーシャル諸島共和国でも「チェコスロヴァキア一番切手100年」を記念する切手を発行した。(右)チェコ、スロヴァキア自身の発行ではないがこれも「プラハ城切手の復刻切手」。
 スロヴァキア共和国でも2018年に『プラハ城切手』の復刻を発行した。
 チェコとスロヴァキアは1993年に「ビロード離婚」して別々の国になったが、それまでは1918年にチェコスロヴァキア共和国(第1次)として独立建国したひとつの国だった。
 スロヴァキアにとっても2018年は独立100年であり、切手発行100年にあたる。ミュシャの『プラハ城切手』は、スロヴァキアにとっても「最初の切手」だった。(現行切手のため、画像の一部を加工改変しています)