なぜ『三季節』?
「秋」を除く「春・夏・冬」三つの季節ですが、この絵のテーマはそれだけではありません。
季節のほか、「朝・昼・夜」一日の時を表わし、「幼年期・成年期・老年期」という人生の時期、さらに 過去から未来にわたる「チェコの歴史」をも表現しています。
『三季節』は、「白・赤・青」の色彩で構成しています。この「白・赤・青」は、ミュシャ作品を理解するための大切な色です。
ミュシャの祖国チェコをはじめ、ロシアなどスラヴの国には「赤・白・青」三色を国旗にしている国があり、「スラヴの三色」とも呼びます。スラヴの三色はフランス国旗の「自由・博愛・平等」とは異なる意味を持っています。
青
「青」は、太古の神秘の時代。スラヴ民族がまだひとつのグループとして狭い地域に住んでいた古代を表わし、スラヴ連帯をの意味を持つ色です。
赤
チェコがヨーロッパの中心だった時期があります。ボヘミア(チェコ)最初の王朝プジェミスル家の血も引くカレル4世(ボヘミア王カレル1世、神聖ローマ皇帝としてはカール4世。一般にカレル4世と呼びならわす。)が、神聖ローマ帝国皇帝の地位にあり、プラハを帝都としていた14世紀の黄金期をさし、チェコでは、中世の栄光の時代を「赤」で表わします。
白
ミュシャがこの作品を描いた当時、チェコはオーストリア・ハンガリー二重帝国の支配下にあり、1618年から280年にわたって、ミュシャの祖国チェコは存在しない「黒の時代」でした。祖国とスラヴ文化の回復、未来の希望をミュシャは「白」あるいは「黄色」で表現しています。
三季節
『三季節』は、季節の移り替わりだけでなく一日の時の流れ、人生の季節、さらにスラヴ民族の歴史を込めてひとつの作品にしているのです。
「四季」ではなく「三季節」をミュシャが描いた理由はそこに あります。
スラヴ諸国が社会主義だった時代を経た現代では、国旗の色は必ずしもスラヴの歴史を表わす色としていはません。しかし、今もロシアをはじめ、スラヴ民俗の国の多くが青・赤・白 (黄)の三色を国旗に採用し、スロヴァキア、スロヴェニアは、「スラヴ民族を象徴する三色」と公式に表明しています。
贋作?
「『三季節』にはサインがないのでミュシャの真作ではない」として、贋作を疑う解説を見かけます。『三季節』が紹介されることが少なく、作品についてあまり知られていない理由かもしれません。
実は、『夏』の画面内にはっきりとサインがあるにもかかわらず、「サインがない」とするのは、その解説者が実際の作品を見て調査確認したことがなく、図録や画集の印刷図版しか見ていないためなのと、さらに、作品を実見しない同様の解説を、無批判にそのまま引き写してよしとしている研究者だからでしょう。残念なことに、日本の研究者と解説によくある問題です。
スイスのミュシャ研究家でコレクターのスヴァテック(Wolfgang T.Swatek von Boskowitz)さんのコレクションには『「夏」と「冬」のデッサン』があって、チューリヒのご自宅で実見したこともあり、描線の特徴などから、ミュシャの手によるのは明らかです。ミュシャの子息イジー・ムハも確認しており、リトグラフの『三季節』がミュシャの作品であるのは間違いありません。
「冬」の表現は、1896年の装飾パネル『四季』、『ショコラマッソン・ショコラメキシカンのカレンダー』の「冬」と共通しています。季節、時刻、人生、祖国の歴史などをひとつの作品の中に重ねて構成するミュシャ独自の表現です。
『「夏」と「冬」のデッサン』を含むスヴァテックさんのコレクションは、一部を除いてほとんどが土居君雄さんに譲られ、現在は「旧スヴァテック・コレクション」として土居君雄コレクションに含まれています。
コピー不可
「スラヴの三色」 スラヴ諸国の国旗(現代)
チェコ(上左) スロヴァキア(上右)
ロシア(下左) スロヴェニア(下右)
『「夏」と「冬」のデッサン』
スヴァテック・コレクション