シャンプノワ
ミュシャのもっとも人気のある作品です。『黄道十二宮』はシャンプノワ社(リトグラフ制作工房・美術出版社)のカレンダーでした。シャンプノワと親しいラ・プリュム芸術出版社がノベルティに使ったことが『黄道十二宮』とミュシャの名を広め、ラプリュム社、シャンプノワ社に成功をもたらしました。
装飾の実用
「黄道十二宮」とは「黄道(天球上の太陽の通り道)」にある星座にちなむ12の「宮」のことです。「白羊宮」、「金牛宮」など動物の名前が多いことから占星術に使う十二宮図を「ゾディアック Zodiac(動物の円盤)」と呼びます。ギリシア語で「動物」はゾーン ζώον 、「円盤」をディスコス δίσκος というのが語源です。
『黄道十二宮』のカレンダーにミュシャは「時」の象徴を飾りました。1年を表す「星座(宮)」、不滅のシンボルとされ1年の始まりの冬をあらわす「月桂樹」、昼を表す「日」と「ヒマワリ」、 夜の象徴の「月」と「ケシ」などです。
デッサンの段階では「月桂樹」ではなく、左右に「昼」と「夜」を象徴する二人の女性を描き、カレンダー両脇の「日」、「月」も女性の顔であらわすプランでした。しかしビザンティン風宝飾の女性を「アイ・キャッチャー」としてより効果的にするために全体を単純化する方向を選び、デッサンにあった二人の女性像を「不滅」の象徴の月桂樹に変え、昼と夜も「ヒマワリ」と「ケシ」であらわしました。
「流れる髪」はミュシャの特徴、アール・ヌーヴォーらしい曲線の装飾といわれています。しかしミュシャは飾りのためだけに「髪」描いているのではありません。見る人の注意をティアラで飾った女性の横顔に集め、渦巻いてのびる髪が視線をカレンダーへ導くという実用的なはたらきをしています。女性のまわりにある「十二宮」もティアラと同様に注意を女性の顔に集める効果があります。実用的な効果を引きだすミュシャのデザイン・テクニックこそが「生活の芸術化」を理想とするアール・ヌーヴォーの特徴なのです。
異教の女神
「アール・ヌーヴォーの万博」とされる1900年パリ万国博覧会は別名「電気の万博」でした。 当時、電気は「新しい光」、「新しい動力」として注目されていたのです。
万博会場には電光イルミネーションを飾り、エスカレーターや電動の歩道が人々を運んでいました。(1937年バリ万博でデュフィ―(Raoul Dufy 1877-1953)の10×60メートルもの巨大壁画『電気の精』が話題になり、「電気の万博」から「世紀末の万博」へ1900年万博のイメージが変化した。)
ミュシャは万博の公式ガイドブックをデザインしオーストリア・ボスニアヘルツェゴビナ・パヴィリオンのインテリア・デザインで銀賞を得るなど注目を集めました。パリ万博でのミュシャの活躍はそれだけでなく、『異教の女神』と題した彫刻を発表して話題になります。女神の頭には小さな電球があり「新しい光」を輝かせていました。現在『ラ・ナチュール(自然)』と呼んでいるこの彫刻はミュシャがデザインしてセイス(Auguste Seysses 1851-1901)という彫刻家とピネド・ブロンズ工房につくらせたものですが、造形は『黄道十二宮』を立体化したものです。
現存する『ラ・ナチュール』4体はどれも頭部に宝石を飾っています。(土居君雄コレクションの『ラ・ナチュール』には、日本に届いたときは世紀末当時の小さな電球とコード、プラグがそのままついており、電流を通せば点灯する状態だった。ただ電圧など日本の規格と異なるため点灯はあきらめ、ミュシャの子息イジー・ムハとも相談のうえ山梨県で加工したアメジストを飾ることになった。)電球がついていたこと、メッキなどの加工をほどこしていないブロンズのままであることから、土居君雄コレクションの『ラ・ナチュール』が1900年のパリ万博会場で公開した『異教の女神』そのものと考えられます。
ラ・プリュム
「文芸芸術」の象徴、「羽根(Plume プリュム 羽根ペンを表す)」を社名に持つラ・プリュム芸術出版社の社主レオン・デシャンは、「サロン・デ・サン(百選展)」と名づけた展示サロンを開設して新しい芸術(アール・ヌーヴォー)の普及に力を 注ぎました。
ミュシャが世に知られるきっかけはサラ・ベルナールのポスター『ジスモンダ』でしたが、ラ・プリュム社やシャンプノワ工房が、雑誌やカレンダー、リトグラフの装飾パネルを安い価格で一般家庭に届けたおかげで今日につながる流行画家になりました。
ミュシャの才能に早くから注目し作品制作を促したレオン・デシャンこそがミュシャを世界中に広めた育ての親といえます。
「昼」と、「夜」を女性像で表現していたのを改めて、月桂樹で「不滅」を象徴した。
『ラ・ナチュール』の頭部(左)と『黄道十二宮』(右)
"異教の女神" と呼ばれていた『ラ・ナチュール』
黄道十二宮 を立体化したブロンズ彫刻 (1900年)
『黄道十二宮』オリジナルのカレンダーはこちらから
下の画像をクリックすると移動します。
ラ・プリュム芸術出版社のカレンダー
(1896)
ラ・プリュム芸術出版社、サロン・デ・サンがあった建物 (左) と レオン・デシャン (右)
「夜」をあらわす三日月とケシ
「昼」をあらわす太陽とヒマワリ
デッサンでは光の玉を手に持つ女性で「昼」を、「夜」は髪が額にかかって三日月のように見える女性の顔で表し、「昼」と「夜」を象徴せさていた。
セイスとミュシャ、共作の印(サインではない)
『黄道十二宮のデッサン』から